「Bar-Lock」は、78個のキーとスペースバーを有するタイプライターでした。マレーは、「Bar-Lock」の各キーの下に79本のワイヤーを繋ぎ、各ワイヤーの下部に梃子となるシャフトを繋いで、それぞれ電磁石で引っ張るようにしました。78個のキーとスペースバーを、電気的に制御できるようにしたのです。
さらに、スペースを除く78個のキーを、大文字26字、小文字26字、数字・記号の26字に分けました。次に、コンマとピリオドを数字・記号の26字から外して、代わりに「l」(小文字のエル)と「O」(大文字のオー)を、数字の「1」と「0」として加えました。そして、「-+---」を大文字へのシフト符号、「--+--」を小文字へのシフト符号、「---+-」を数字・記号へのシフト符号と決め、カム・シャフトでシフト状態を記憶しておく仕掛けを作りました。すなわち、「-++-+」という電流パターンを受け取った場合に、カム・シャフトが大文字であれば「P」を、カム・シャフトが小文字であれば「p」を、カム・シャフトが数字・記号であれば「0」(実際には大文字の「O」)を、それぞれ印字するようにしたのです。また、コンマとピリオドとスペースに関しては、カム・シャフトの状態にかかわらず、常に、コンマとピリオドとスペースだとみなすことにしました。
マレーは、この印字機構をアクチュエーターと名づけ、遠隔タイプライターの受信機として使うことにしました。しかし、この受信機には、まだ大きな問題がありました。アクチュエーターがあまりに低速で、送信者のスピードに追いつけなかったのです。アクチュエーターを高速化できればよかったのですが、当時のマレーにその技術はありませんでした。すなわち、受信機のスピードが送信機のスピードに追いつけない以上、受信データをどこかでバッファリングする必要が生じたのです。
バッファリングの手段として、マレーは、鑽孔テープ(紙テープに鑽孔を開けたもの)を用いることにしました。受信した電気信号は、直接アクチュエーターにかけずに、まずは5穴の鑽孔テープに打ち出します。たとえば、「-++-+」という電流パターンに対しては、紙テープに「 ○○ ○」という穴を開けるわけです。その鑽孔テープを、アクチュエーターに読み込ませて印字するのですが、その際には、アクチュエーターの印字速度に合わせて、鑽孔テープを読み込ませる仕掛けにしました。これならば、紙テープに穴を開ける機構を十分高速にすればよく、アクチュエーターが多少おそくてもかまわないわけです。
1899年3月、マレーは、遠隔タイプライターの試作機とともに、シドニーを出発しニューヨークへと旅立ちました。残念ながらオーストラリアでは、マレーの遠隔タイプライターは、実用化できなかったのです。遠隔タイプライターを商品化して一儲けすべく、マレーは、新天地アメリカに賭けたのです。
(ドナルド・マレー(4)に続く)