『日本国語大辞典』をよむ

第54回 名詞からうまれた動詞

筆者:
2019年2月24日

第52回では名詞からうまれた形容詞を採りあげたが、今回は名詞からうまれた動詞を採りあげてみよう。

きしむ【軋】〔自マ五(四)〕物がすれ合う時になめらかにいかないで、きしきし音をたてる。きしめく。*能因本枕草子〔10C終〕二五・にくきもの「墨の中に、石のこもりてきしきしときしみたる」*俳諧・大坂独吟集〔1675〕下「油屋のしめ木の音をしるべにて しのびて明る戸やきしむらん〈未学〉」*めぐりあひ〔1888~89〕〈二葉亭四迷訳〉一「衣服の音がさらさらとして、床が纔(わづ)かにきしんだ」語誌 (1)擬音語「きしきし」の「きし」の動詞化。「きしめく」「きしる」も同様の意味で用いられる。(2)中世以降には、語頭の濁音化した「ぎしむ」「ぎしめく」が生じたが、これらは、物がこすれることによって生じる音を表わすとともに、相手に対抗するために「力む」「争う」「競い合う」の意味に拡大していった。(略)

きしる【軋・輾】【一】〔自ラ五(四)〕堅いもの同士が強く触れ合って音が出る。摩擦し合って音が出る。きしむ。【二】〔他ラ四〕(1)堅いものが強く触れ合って音を出す。摩擦して音を出す。また特に、車輪が摩擦で音をたてるほど車を疾走させる。きしませる。(2)物と物とを、すれ合うようにする。音をたててすり合わせる。(3)勢いや数を争うように、触れ合わせる。また、接触して、競い合わせる。(4)ねずみなどが、きしるような音をたてて物をかじる。歯でかじる。(略)

擬音語語基「キシ」に、動詞をつくる接尾辞「ム」がついて「キシム」がうまれ、同じく動詞をつくる接尾辞「ル」がついて「キシル」がうまれている。これは擬音語語基から動詞がうまれたということだ。さて本題に入ろう。

名詞「アオ(青)」に「ム」がつくと動詞「アオム」がうまれる。日本語における色名では「アカ(赤)」「アオ(青)」「シロ(白)」「クロ(黒)」が根幹を成すことはすでに指摘されている。「アカ/アオ」は色味がある色グループの明・暗で、「シロ/クロ」は色味がないグループの明・暗である。中学校の美術の時間に、暖色・寒色という用語を習ったが、前者はそれと同じことになる。これらの名詞から形容詞をつくることもできる。「アオ」から「アオム」がうまれるのだから、「アカム」「シロム」「クロム」があってよい。『日本国語大辞典』はいずれも見出しにしている。

ラ行に活用する動詞があることがわかっていると、「リ」で終わる語を活用させたくなる。漢語「リョウリ(料理)」を動詞化した「リョウル」という動詞がある。

りょうる【料理・料】〔他ラ四〕(名詞「りょうり(料理)」の動詞化)(1)料理する。食べ物を調理する。*狂歌・後撰夷曲集〔1672〕「吉野川見所おほしといふ事は大きな鮎を料るゆへかも」*俳諧・西の雲〔1691〕「残暑しばし手毎にれうれ瓜茄子〈芭蕉〉」*歌舞伎・芽出柳緑翠松前〔1883〕五幕「おお土産とあれば其の魚を料って賞翫いたさうが」*思出の記〔1900~01〕〈徳富蘆花〉四・一五「手荒く料理(レウ)って、腥い骨だらけの鯛飯を焚き」*煙管を持たしても短刀位に〔1918〕〈泉鏡花〉「メスで人生を三枚に、おろしても、庖丁で鰓(えら)を放せないのは、魚を料(レウ)るもんぢゃないんだとさ」(2)物事をうまく処理する。また、相手を痛めつける。やっつける。*黒本・化物曾我〔1776〕下「れふってくだんせ」(略)

「ル」で終わる動詞が多いことが意識されるようになると、名詞に「ル」を下接させて動詞をつくりだすこともある。「かも(鴨)」(2)には「よいえもの。うまうまと利益をせしめることができるような相手。勝負ごと、かけごと、あるいは詐欺(さぎ)などで、食いものにするのに都合のよい相手。「かもにする」「かもがねぎをしょってくる」」と記されている。

かもる【鴨】〔他ラ四〕(「かも(鴨)(2)」を動詞化した語)相手をうまく利用して利益をせしめる。勝負ごと、あるいは詐欺などで相手を食いものにする。*大道無門〔1926〕〈里見弴〉白緑紅・一「素的な美人かなんかで、一人でここに来てゐて、麻雀がしたくってたまらない、なんてのがゐないかなア。〈略〉それなら、少しくらいかもられたって」*浅草〔1931〕〈サトウハチロー〉金網模様の青空「チェッ、降るならざんざんと降ればいい。こぬか雨で、おつけを鴨(カモ)られちゃやりきれ無(ね)え」

外来語の省略形に「ル」を下接させることもある。

アジる〔他ラ五(四)〕(「アジテーション」を略した「アジ」を動詞化した語)感情に訴えるような言葉を用いて、行動をすすめ、そそのかす。扇動する。また、元気づける。*モダン用語辞典〔1930〕〈喜多壮一郎〉「アジる〈略〉『奴元気がない、一つアジってやれ』等と用ひる」*青年の環〔1947~71〕〈野間宏〉現実嫌悪・三「『アジ』られ後から押され、〈略〉眼に見えない精神力の手綱によって、引かれて来たのであった」語誌 昭和六年(一九三一)九月一日付「大阪朝日新聞」流行語欄に「アジる」があり、「元気づける」「おだてる」の意味に広げて使うこともあると記されている。本来、労働運動用語として大正中期の「サボタージュ」「サボ」と並んで昭和初期によく使われた語。一九七〇年代の学生運動を境に次第に使われなくなった。

「アジル」は現在ではほとんど使われなくなっているかもしれないが、上の「語誌」欄にみられる「サボ」に「ル」を下接した「サボル」は現在でも使われていると思われる。

サボる〔他ラ五(四)〕(「サボタージュ」の略の「サボ」を動詞化した語)学業や仕事などやるべきことを怠けること。また、学校の授業や仕事などをずるけて休むこと。*女工哀史〔1925〕〈細井和喜蔵〉一六・五四「サボル─サボーターヂの片言なれども個人的怠業を指す(俺サボってやらう)」*蟹工船〔1929〕〈小林多喜二〉五「ずるけてサボるんでねえんだ。働けねえからだよ」*京都三条通り〔1935〕〈田口竹男〉二「どこへ行かはったの。〈略〉サボって? お芝居?」*抱擁〔1973〕〈瀬戸内晴美〉四「さぼっていた手紙の返事や、ゆきそびれていた病人の見舞いなども日をきって次々果してしまう」

「サボル」の「サボ」を片仮名で書くと、そこが外来語の省略形であることがなんとなく示唆されるが、上でいえば、最後にあげられている瀬戸内寂聴の例では「さぼっていた」と書かれている。もはや、「サボ」が「サボタージュ」の省略形であることがあまり意識されなくなったことのあらわれだろう。『日本国語大辞典』は「サボり」「サボりぐせ」も見出しにしている。「サボリ」は「サボル」からうまれた名詞形なので、「サボタージュ」という名詞の省略形からうまれた動詞「サボル」がまた名詞「サボリ」をうみだしたことになる。まさに言語は開かれたシステムで、こうやってどんどん新しい語をうみだしていく。同様のうまれかたをした語として「ダブル」「ハモル」などがある。『日本国語大辞典』はこれらも見出しとしている。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。