(前回からつづく)
次のこつですが、「宇宙人になろう」です。わたしたちは、地球人で日本語を話して、日本で一番売れている日本語の辞書を引いています。でも、不思議ではありませんか。辞書には、
「え、この言葉、一体誰が引くの? みんな意味、もう知っているでしょ」
と、いう言葉がちゃんと載っている。よく考えたら「知っている」言葉のほうが、多いのかもしれません。例えば、「目」「耳」「口」「鼻」「顔」「髪」「頭」「手」「指」「足」「爪」。もっと言えば、「人間」です。
えーと、今、タイトルが出て来ないのですが、吉田拓郎の歌で「人間なんてラララーララララーラ」という歌があるかと思いますが、歌いたくなってきました。
うーん、人もねえ。用例には「田中という―」と、ある。新解さんには、田中、山田、佐藤が多く出て来ることは、『新解さんリターンズ』(角川文庫)p.231「この用例を見よコーナー」で「小特集〈山田・田中・佐藤〉」で発表済みです。
普通に暮らしていると、残念ですが人間は辞書でなかなか「人間」とは引けない。そこでこんな工夫をするのです。
あの、「考えられる限りの方法」かどうかわたしには判断出来ませんが、「宇宙人の心になって辞書を引こう」と、申し上げます。想像して下さい。あるいは、成り切ってもいいです。
そうか、鳥に成り切るのか。もしかしたら、どこかに飛んで行って、もう帰って来ない、ということかもしれません。それは、大変だ。さて、宇宙人の場合ですが、まず、あなたは遠い宇宙からやって来ました。地球のことは何も知りません。でも、好奇心と向上心に満ちている宇宙人なのです。目の前に新明解国語辞典があります。嬉しいですね。さあ、引いていきましょう、という場面です。努力と工夫で、宇宙人の心になり敢えて当り前の言葉を引いていくのです。力一杯やってみましょう。
ああ、そうか。家ってそういう物なのか。それがわかって、宇宙人はにこにこです。
宇宙人は、今から「砂」を引くと思うので、わたしは別の言葉を引きます。
そうです。光と言っても太陽からホタルまで、うんと距離がある。でも光は光です。こういうところに、新解さんの力技がぴかっと光りますね。
ああ、蛍の説明にまさか舟が出て来るとは思いもしませんでした。この「舟」は、モーターボートではなくて、テレビの「鬼平犯科帳」に出て来る、盗賊が夜の川を静かに進む時に乗る、あの木の「舟」ですね。今は蛍の季節ではないので、宇宙人はまず再放送の「鬼平犯科帳」を観て舟を知り、次に七月ぐらいに水のきれいな土地に行き、実際に蛍を見て下さい。小さな蛍の説明に舟を出してくる新解さんに、「おそれいりました」と言ってもいいです。
春の後は、夏、秋、冬と調べを進めて下さい。春を引いた同じページには、こんな物もありました。宇宙人も視野を広く取って下さい。
「ここ」「そこ」を敢えて引くのも宇宙人にしか出来ませんので、しっかりやって下さい。
それでは、人間は「ここ」で次のこつに移ります。それは、「人に聞けない言葉を引こう」です。
例えばです、わたしが「ねえねえ、泥試合・ごろつき・もっさり・助平根性・小言・腰巾着・イエスマン・居座る・日陰者・めかけ・ばけの皮・いがみあう・せこい・要領・鈍才・つけあがる・つけやきば・盗作・盗撮・逃げる・だます・下心・舌打ち・よだれ・ずらかる・夜逃げ・げす・生首・またずれ・出たとこ勝負・いかがわしい・いかさま・色気違い・男好き・いんちき・悪筆・言い触らす・しけこむ・射殺・呪う・恨む・肉欲・にたにた・じゃかすか・邪悪・いけしゃあしゃあ・うさんくさい・うじ・だに・やらせぶったくり・奴・やくざ・ごみって何?」と、人に聞いたらどうなりますか。たぶん誰も、その言葉の意味を説明しないし、その前に、「今日、これから用事があるの。じゃあまた今度ね」と言われて、足早にその場を去り、きっとその「今度」も実現することはない。孤独を感じる。
でも、そういう言葉こそ、新解さんの出番です。新解さんは決して逃げない。難しい問題にも、ずどんと真向う勝負です。こういうところは、少し、長谷川平蔵に似ていると思います。
最後のこつですが、「台所で料理しているお母さんに聞けない言葉を引こう」です。今は令和で、「料理をするのは何もお母さんだけではない」という時代になりました。でもここは、すみませんがお母さんのままにして下さい。なぜなら、わたしの家は、こういう家だったので、他のシチュエーションが全く想像出来ません。
わたしは、朝に朝食と子供とベビーシッターさんのための晩ごはんを作っていました。その後、自分の身支度をして、子供二人を自転車に乗せて保育園に連れて行き、会社に向かうのでした。その間、「お父さん」は何をしているのかというと、ソファに座って新聞(東スポ)を読んでいます。子供が泣こうが喚こうが、全く動じず静かに東スポを読み続ける。わたしが、
「あなた、子供にご飯食べさせて」
と、当然言いましたら、
「あ、俺は貴族だから、そういうことはしない」
という全く想像しなかった答えが戻ってきました。ですから、ここでは台所に立って野菜炒め、あるいは唐揚げを揚げているお母さんに
「ねえ、お母さん、『ぱりぱり』と『ばりばり』はどう違うの?」
と、あなたは聞けますか?
これは、わたしの中では「辞書いじめ」あるいは、「言葉のグラデーション」と呼んでいる物件です。感覚としては、その違いは確かにわかる。でも、それを正しく言葉で表現出来ますか? こういう時こそ、真打の登場です。殺気立っているお母さんではなく、新解さんに聞いて下さい。
それでは、他のグラデーション物件をあげていきます。「ころころ・ごろごろ」、「ぽろぽろ・ぼろぼろ」、「かさこそ・がさごそ」、「かたかた・がたがた」、「かさかさ・がさがさ」、「とろとろ・どろどろ」、「きょろきょろ・ぎょろぎょろ」、「きらりと・ぎらりと」、「きらきら・ぎらぎら」、「ぼんぼん・ぽんぽん」、「ばたっと・ぱたっと」、「はたはた・ばたばた」、「ばたり・ぱたり」、「ぬらぬら・ぬるぬる」、「ひしひし・びしびし・ぴしぴし」、「おどおど・たじたじ」などを、ぜひ引いてみて下さい。
辞書は偉いものだ、こんな嫌がらせ(みたいなこと)をされても、怒ったりしません。ちゃんと教えてくれる。悪いですが、こういうことはお母さんは出来ないでしょう。