暇になりました。約一年続いた「ことばのコラム」の連載が終ったので、締切りがない。締切りがないと原稿は書かない。頭も手も使わない。ぼーっとしている。時間はある。暇です。よし、それでは自分が良くわかっている今の状態を、新明解国語辞典で引いてみましょう。そうです、全ては、ここから始ります。
「え、暇ってそういう事なの?」
と、思いました。新解さんは「自分の好きな事が出来る」と、なんだか嬉しそう。そうか、きっといつも「今しなければならない仕事」ばかりなのだと思う。そういう毎日の中で、「自分の好きな事」が出来なくなっているのですね。ふーん、新解さんの好きな事って何でしょうか。本を読んだり、古本屋に行ったり、床屋さんに行く事でしょうか。でも、こういう言葉もあります。
暇はね、もて余しがちですよ。せっかく出来たその時間を、自分の好きな事に使ったりしない。
小人、ついよくない事をするそうだけど、どんな事をするの? 後学のために教えて欲しい。たぶん何の役にも立たないと思いますが、それでも知りたい。
わたしは暇になると、ただひたすら「ぼー」っとしている。具体的には台所の自分の椅子に一日中坐っている。ひどい時には何も食べない。料理するのも嫌になり、お腹が空いたままで一日を終える。暇になって時間が出来た、さあ床掃除をしたら? 洗面台の下を整理したら? アイロンをまとめてかけたら? 作り置きのおかずを作ったら? 網戸をきれいにしたら? そういう、「日頃時間が無くてしなければならないけどしていない事」を、時間が出来たのに、やっぱりしないのです。うーん、それはどうしてかというと、そういう事は「自分が好き」でないからです。
小人って、暇過ぎるとよくない事をするそうですが、わたしは暇でも、しなければならない事をしないで、ぼーっとしているだけだ。小人もわたしも、何かいい事をするといいのに、と思いますが、なかなかうまく行きません。
わたしは、毎日新聞をとっているのですが「仲畑流万能川柳」の欄を毎日楽しみにしている。選者は仲畑貴志さんの川柳のコーナーです。毎日十八句掲載されます。
七月十七日には
「辞書引くと素敵な意味の姥桜 鴻巣 雷作」
という句があった。うーん、姥桜! わたしは、まだその域に達していないので、この言葉に対して何の興味も親近感も持っていませんでした。だからこれまで一度も引いたことがない。雷作さん、あなたは男ですか女ですか。それは知らないけれど、あなたは何故「姥桜」という言葉を辞書で引けたのですか。あなたが姥桜? それとも姥桜のお知り合いがいるのでしょうか? あれこれ考えました。そして、生まれて始めて「姥桜」を引きました!
「姥桜」のお隣りは「姥捨山」でした。もう全然違う。落差があり過ぎる。
「かなり」→「年増」→「なまめかしい」。さあ、この流れで語釈を読んでみて下さい。
わたしは、自分がこういう人になりたいかどうか、わからない。ならなくても、構わないです。それよりも、姥桜というこの言葉って、どんな風に使うのですか。悪口なのかな、と思っていましたが、語釈としては悪口ではないですね。誤解されている言葉かも、と思いましたが、ほめ言葉でもないような気がします。ただ「鴻巣 雷作」さんが引いた辞書は、きっと新明解国語辞典だと思いました。
なお、この原稿は三省堂から依頼された訳でもなく、そのため締切りもなく、「書きたくて書きましたよ。はい、送りますよ」と担当者に送りました。
暇でよくない事をしたのかな、と思っています。