『日本国語大辞典』をよむ

第123回 アップリケとアポイントメント

筆者:
2024年10月27日

『日本国語大辞典』に限らず、辞書を読んでいると、「ああ、こういう語があった」と思う時がある。懐かしい語との出会いのような感じだ。『日本国語大辞典』を読んでいて見出し「アップリケ」に出会った。

アップリケ〔名〕({フランス}appliqué )《アプリケ》素材の上に別種の装飾材を貼りつける技法。また、布地の上に、別に切り抜いた布や革を縫い付けたり、のりで貼り付けたりする手芸。また、その付けられたもの。*音引正解近代新用語辞典〔1928〕〈竹野長次・田中信澄〉「アップリケApplique 仏 縫ひつけ飾りの事」*俘虜記〔1948〕〈大岡昇平〉季節「帽子にFといふ字を白布でアップリケしてゐた」

「アップリケ」がもともとはフランス語であったこと、語義を説明し、使用例を2つあげている。国語辞書の説明としてはこれで十分といってよい。しかし、子供の頃に「アップリケ」という語を確実に使っていた者としては、大岡昇平「俘虜記」のあと、いつ頃まで使われていたのだろうかと思う。そう思ったのは、最近はあまり耳にしなくなったように感じているからだ。

そこで、「朝日新聞クロスサーチ」を使って、具体的には『朝日新聞』ということになるが、新聞で「アップリケ」がどの程度使われているかを検索してみる。1985年以降の記事に「アップリケ」で検索をすると277件のヒットがある。(編集部注:ヒット数は原稿執筆当時のもの)この中には、話題にしている「アップリケ」ではない文字列が含まれている可能性がゼロではないが、今この件数を目安にする。この277件をどうとらえればいいかということは、現代日本語の母語話者でもすぐにはわからない。自分は現代日本語を使う集団の中の一員であっても、集団全体がある語をどう使っているかということを数量的に把握することは難しい。「よく使う」「それほど使わない」「ほとんど使わない」ぐらいの感覚はあったとしても、その程度だろう。

いろいろな外来語を「朝日新聞クロスサーチ」で検索してみるといろいろな気づきがある。例えば、『日本国語大辞典』には「アビケンナ」「アフラマズダ」が見出しになっている。

アビケンナ(Avicenna )アラビアの哲学者、医学者イブン=シーナーのラテン名。

アフラマズダ(Ahura Mazda )ゾロアスター教の主神。現世と未来を創造し、光明、善の神として全宇宙を支配する。悪神アーリマンとの抗争の結果、勝利して新しい世界をもたらすとされる。

「アビケンナ」が「イブン=シーナー」の別名であることは、おそらく高校生の時に世界史で習った。両方とも今も覚えている。「アフラマズダ」と「アーリマン」も世界史で習い、自動車メーカーの「MAZDA」が「アフラマズダ」に由来するという話もその時に聞いた記憶がある。しかし(と言っておくが)1985年以降の『朝日新聞』の記事では、「アビケンナ」も「アフラマズダ」も1回も使われたことがない。『日本国語大辞典』の見出しの選択がよくないといっているのではなく、そういう語ももれなく見出しにしているということを使用者として知っておくのことはいいことだろう。

さて「アポイントメント」を「朝日新聞クロスサーチ」で検索すると295件のヒットがあった。(編集部注:ヒット数は原稿執筆当時のもの)つまり(と言っていいかどうかわからないが)、「アップリケ」と「アポイントメント」とは同じような頻度で新聞で使われているということで、これは少し意外な気がした。「アポイントメント」はもっとずっと多く使われているのではないかと思ったからだ。『日本国語大辞典』は「アポイントメント」、その略語の「アポイント」、そのまた略語の「アポ」を見出しにしている。

アポイントメント〔名〕({英}appointment )(日時と場所を決めた会合・訪問などの)約束。取り決め。アポイント。アポ。*蒼ざめた馬を見よ〔1966〕〈五木寛之〉二「どうしても会いたいとおっしゃるんなら公式のアポイントメントをお取りになってくださいな」*新西洋事情〔1975〕〈深田祐介〉フランス式「蛙思考」のふしぎ「『今ちょうどアポイントメントのお客が着いたから』とか『これから約束があってでかけるんでね』とかいい加減な口実を使って」

アポイント〔名〕「アポイントメント」の略。

アポ〔名〕「アポイントメント」の略。 「アポをとる」

さて、「朝日新聞クロスサーチ」のヒット件数であるが、「アポイント」は608件で、「アポイントメント」の倍ぐらい、「アポ」は11,259件で、38倍ぐらい使われていることがわかる。(編集部注:ヒット数は原稿執筆当時のもの)『日本国語大辞典』の初版では「アポ」は見出しになっていないのではないかと思って、確認してみたら……なんと、「アポイントメント」そのものが見出しになっていなかった。当然「アポイント」も「アポ」も見出しにはなっていない。初版が刊行されたのは1972(昭和47)年、今から50年以上も前のことになる。外来語の使われ方もこの50年間でかなり変わった。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。