『日本国語大辞典』には次のようにある。見出し「やくがい」も併せて示す。
やこうがい【夜光貝】〔名〕リュウテンサザエ科の大形の巻き貝。奄美諸島以南から太平洋熱帯域のサンゴ礁に分布する。殻はサザエ形で厚く、殻径約二五センチメートルの大きさになる。(略)「夜光」の名はあるが発光することはなく、屋久島から献上されたところから「やくがい」といい、それが変化した語といわれる。殻は古くから螺鈿(らでん)細工に使われ、正倉院宝物の中にもこれを用いたものがある。肉は食用になる。やこうのかい。
やこうのかい【夜光貝】〔名〕「やこうがい(夜光貝)」に同じ。
やくがい【夜久貝】〔名〕「やこうがい(夜光貝)」の異名。
見出し「やこうがい」の語釈中で使われている「殻径」という語は、貝を見出しとする見出しの語釈中で、30回使われているが、それ自体は見出しとなっていない。「殻」の音は「カク」「コク」であるので、「殻径」が漢語であるとすれば、考えられるのは「カクケイ」「コクケイ」という語形であるが、そのいずれも見出しとなっていない。オンライン版で漢字列「殻径」を検索しても、語釈中で使われた30例しかヒットしないので、見出しにはなっていないのだろう。また現在刊行されている最大規模の漢和辞典といってよい『大漢和辞典』も「殻」字の条中に「殻径」をあげていない。語義はわかるので、「謎」ということはないが、発音がわからないので、「ちょっと謎な語」ではある。
さて、見出し「やこうのかい」の「辞書」欄、「表記」欄には『言海』があげられている。そこで『言海』を調べてみると、次のように記されている。見出し「やくがひ」も併せて示す。
やくわうのかひ(名) 夜光貝 螺ノ類、盃トス、大隅屋久ノ島ニ産ズ。(屋久ノ貝ノ訛カトモ云)
やくがひ(名) 屋久貝 螺(ニシ)ノ類、大隅ノ屋久ノ島ニ産ズ、殻、厚ク、外、青シ、磨キテ器トスベシ。青螺
『日本国語大辞典』の見出し「やくがい」の「補注」には平安時代、934年頃に成立したと推測されている辞書、『和名類聚抄』(20巻本)の記事が紹介されている。『和名類聚抄』は巻19の「鱗介部」の「亀介類」の中で、「錦貝」を見出しとし、その語釈中で、この「錦貝」を「夜久乃斑貝」であることを述べ、俗説であることを断りながら、「西海有夜久島彼島所出也」(西海に夜久島があって、そこで産出する)と述べる。「夜久島」は現在の屋久島と考えることができそうだ。筆者は「夜久乃斑貝」の「斑貝」はどう発音するのだろう、つまりどういう発音の語を書いたものなのだろうとまず考えるが、『日本国語大辞典』には「やくのまだらがい」という見出しがある。つまり、『日本国語大辞典』は「斑貝」は「まだらがい」という語を書いたものと判断していることになる。
やくのまだらがい【夜久斑貝・屋久斑貝】〔名〕貝「にしきがい(錦貝)」の異名。
こうやって、次々とわからないことを調べ、確認していくと、いつのまにか、今自分が調べていることは何か、明らかにすべきことは何か、ということを見失うことがある。そんなばかな、と思われるかもしれないが、案外そういうことはあるし、日本語について書いてある本の中にも、そういう「傾向」のものはあるように感じる。
筆者が思ったことは、屋久島で採れる貝であれば、「屋久の貝(やくのかい)」という語形が自然なものだろうということで、この「ヤクノカイ」が「ヤコウノカイ」へと変化した「道筋」は単純には説明しにくいが、「ヤク」の部分が長音化していくというような「道筋」でさらなる音変化が起こったと考えることはできそうだ。そうやって「ヤコウノカイ」という語形ができ、それを漢字で「夜光貝」と書いていた。この「夜光貝」を漢字そのままに発音するようになって、「ヤコウガイ」という語形が発生する、という「順番」があるだろうということだ。もしもこの推測があたっているとすれば、「ヤコウノカイ」と「ヤコウガイ」とは語義はまったく同じということになり、かつ語形もほとんど同じで、両語形が併存しにくい。「ヤコウガイ」がうまれると「ヤコウノカイ」は消えてしまいやすいと思われる。そういう語形も辞書には残る。
さて、少し観点が違うが、「菜花」はどんな語形を書いたものだと思いますか。『三省堂国語辞典』第7版は見出し「なのはな」を「アブラナ(の花)。春、畑一面に黄色く さく」と説明し、見出し「なばな」を「ナノハナの、食材としての呼び名」と説明している。「なのはな」の語釈の「畑一面」は雰囲気がでていていいなと思う一方で、畑だけに咲くわけではないのでは? と思ったりもするが、そんなことをいうのは野暮でござんしょう。これはもともとは「ナノハナ」という語形のみだった。それを「菜の花」ではなくて「菜花」と書く書き方がうまれた。その「菜花」が食材としての菜の花の表記によく使われ、それを文字通り「ナバナ」と発音するようになった。それから「ナノハナ」と「ナバナ」との「すみわけ」が起こった、というような「道筋」ではないかと推測している。さらにいえば、「サイカ(菜花)」という漢語も存在している。これも『日本国語大辞典』は見出しとしている。
「タラノコ」を「タラコ(鱈子)」といい、「フカノヒレ」を「フカヒレ」という。「タラノコ」「フカノヒレ」はもはやほとんど使わない語形になっている。『日本国語大辞典』は見出し「たら(鱈)」の後ろに「たらのこ」をあげており、そこには17世紀の使用例があげられている。また「ふかのひれ」はちゃんと見出しになっている。『言海』も「ふかのひれ」を見出しとしているので、『言海』が完結した明治24(1891)年には確実に存在した語であることがわかる。『日本国語大辞典』は見出し「ふかひれ」の使用例としては、「英和商業新辞彙〔1904〕」をあげている。ちなみにいえば、『三省堂国語辞典』第7版は「タラノコ」「フカノヒレ」を見出しとせず、見出し「ふかひれ」の語釈末尾に「ふかのひれ」と記している。
ことばは変化していくものだ。それを歎くつもりはない。ただ、その変化の過程は知っておきたいと思う。そんなことも辞書をよむとわかってくる。
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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ //japanknowledge.com/)の表示に合わせております。