昭和15年12月15日、国語協会は『標準名づけ読本』を発表しました。『標準名づけ読本』は、やさしくわかりやすい名前を子供につけることで国字運動の一翼を担おう、という意図のもとに編纂されたもので、端的に言えば、子供の名づけに用いる漢字を500字に制限しようとするものでした。この500字の中に、旧字の「彥」が含まれていました。
昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。しかし、この2528字の中には、旧字の「彥」も新字の「彦」も含まれていませんでした。昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表にも、旧字の「彥」も新字の「彦」も含まれていませんでした。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限されました。この結果、「彥」も「彦」も子供の名づけには使えなくなってしまいました。
昭和26年3月13日、国語審議会のもと発足した固有名詞部会では、子供の名づけに使える漢字を、当用漢字以外にも増やす方向で議論が進みました。固有名詞部会は『標準名づけ読本』の500字をチェックし、500字のうち75字が当用漢字に含まれていないことを確認しました。この75字の中に、旧字の「彥」が含まれていたのです。固有名詞部会は、この75字に17字を加えた92字を、追加すべき人名用漢字として国語審議会に報告しました。ただし固有名詞部会は、旧字の「彥」ではなく新字の「彦」を追加すべきだ、と報告しました。新字の「産」が当用漢字字体表に収録されていたので、「彦」も字体を合わせるべきだと判断したのです。
これを受けて、国語審議会は昭和26年5月14日、人名漢字に関する建議を発表しました。翌週25日、この92字は人名用漢字別表として内閣告示され、新字の「彦」が子供の名づけに使えるようになりました。旧字の「彥」は、人名用漢字になれませんでした。それが現在も続いていて、新字の「彦」は出生届に書いてOKですが、旧字の「彥」はダメなのです。