モノが語る明治教育維新

第19回―進級試験問題をのぞいてみると・・・(2)

2017年12月12日

第18回に続き、『師範学校 小学試験成規』(明治8年)に掲載された問題を見ていきます。

書取は、教師が口頭で2回繰り返す言葉を石盤(ハンディタイプの黒板)に綴り、更に紙に清書します。第七級(小学1年後期)では、以下の漢字が書けなくてはいけません。

(1)着物 (2)襦袢 (3)牽牛花 (4)栄螺

『小学入門』の単語図からの出題ですが、今では読むことさえ難しい漢字があります。「襦袢」は和装の下に着る「ジュバン」です。「アサガホ」は「牽牛花」、「サザエ」は「栄螺」と当て字で書くように指導されていました。

第五級(小学2年後期)からは、書取がなくなり作文となります。当時の作文指導は、特に低い級では、課題に対し形式的な文例を学ぶことに終始していました。例えば第五級の出題例と模範解答は次の通りです。

例題「小学校」

答え「士民一般幼稚ノトキヨリ勉励シテ、普通学科ヲ修ムル所ナリ」

作文の教授法はすべてこの調子で、ある時「教師」をテーマに作らせたところ、「教師は骨と皮にて作り、人を教ふる道具なり」と書いて名文と褒められた、などといったエピソードが残されています。作文では、このように子どもの個性も独創性も必要とされませんでしたが、これは次の問答でも同様です。

問答は、質問されたことに口頭で答えるのですが、第八級(小学1年前期)では単語図の中から三つ選び(例示は時計・着物・雁(がん))、その性質と用法を質問しています。それぞれ、

「時計は金銀等にて拵(こしら)へ大小種々あり 長針短針 又秒を計る針あり みな時を計る器なり」

「着物は衣服の総名にて絹、木綿、麻等の反物を裁縫し人の着る物なり 其製長短各種あり」

「雁は水禽の類にて秋は北より来たり 春は北へ去る 寒を好むものなり」

(『師範学校改正小学教授方法』明治9年より)

などと答えれば、合格でしょう。

第七級は、「下等小学教則」(明治6年 師範学校制定)で定められた「色ノ図」「人体ノ部分」「通常物(日常問題)」からの出題です。色に関する問題2問は、茶色とカナリア色のカードを見せてそれぞれ何色かを問います。当時は、色図を使い40色以上の名称を覚えさせられました。人体に関する問題2問は、人体図上か、教師が自らの手と眉間を指し、その名称を問います。通常物2問は、男女別に出題され、男児には、一里の丁(町)数と八畳敷きの坪数、女児には、布絹一匹の尺数と昼夜の時間などが質問されます。一つ間違えるごとに2点半ずつ減点です。

最後に習字ですが、第八級は仮名文字、第七級から第三級までは漢字楷書、第二級からは手紙文を草書体で書きます。

こういった難度の高い暗記重視の試験が、時には官員や町村の名士らの立会いの下、厳正に行われました。無事に及第した生徒には、わざわざ官員が出張の上、卒業証書を与え、優秀な子どもには賞状や賞品を贈る決まりになっていました。勉強好きな上昇志向の強い子どもは誉れと喜ぶその一方、教室の席次や名札まで成績順で決められるなど、不得意な子どもにとっては何かと負担が大きなものでした。

筆者プロフィール

唐澤 るり子 ( からさわ・るりこ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

『図説 近代百年の教育』

編集部から

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。