人名用漢字の新字旧字

第26回「姫」と「姬」

筆者:
2008年12月18日
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新字の「姫」は、常用漢字なので子供の名づけに使えます。旧字の「」は子供の名づけに使えません。「姫」は出生届に書いてOKですが、「」はダメ。実は、「姫」の音はシン、「」の音はキなので、「姫」と「」は全く異なる別の字なのですが、ここではあえて、「姫」を新字、「」を旧字と呼ぶことにしましょう。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表を答申しました。この当用漢字表は、手書きのガリ版刷りでしたが、旧字の「」が収録されていました。これにしたがい、11月16日に内閣告示された当用漢字表にも、旧字の「」が収録されていました。ところが、昭和22年9月29日に国語審議会が答申した当用漢字音訓表は、やはり手書きのガリ版刷りでしたが、新字の「姫」に「ひめ」という訓がつけられていました。国語審議会は、すでに新字の「姫」を念頭においていたのです。ただ、新字の「姫」と旧字の「」は、音がシンとキで異なっていたことから、当用漢字音訓表では、「ひめ」という訓だけを示すことにしたのです。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、当用漢字1850字に制限されました。この時点の当用漢字表には、旧字の「」が収録されていたので、旧字の「」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。でも、新字の「姫」は子供の名づけには使えませんでした。昭和23年2月16日には当用漢字音訓表が内閣告示されましたが、官報に掲載されたのは、旧字の「」に「ひめ」という訓でした。新字の「姫」ではなかったのです。この時点の当用漢字は、あくまで旧字の「」であり、出生届に書いてOKなのも旧字の「」だけだったのです。

昭和23年6月1日、国語審議会は当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表は、活字字体の標準となる形を手書きで示したもので、新字の「姫」が収録されていました。昭和24年4月28日に、この当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「姫」が当用漢字となり、旧字の「」は当用漢字ではなくなってしまいました。当用漢字表にある旧字の「」と、当用漢字字体表にある新字の「姫」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「」も新字の「姫」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。その後30年ほどの間は、旧字の「」も新字の「姫」も、出生届に書いてOKだったのです。

昭和52年1月21日、国語審議会は文部大臣に、新漢字表試案を報告しました。新漢字表試案は、当用漢字に83字を追加し33字を削除する案で、1900字を収録していました。新漢字表試案1900字は、基本的に明朝体の新字で印刷されており、うち347字にカッコ書きで旧字349字が添えられていました。しかし、新字の「姫」にはカッコ書きの旧字はありませんでした。昭和56年3月23日に国語審議会が答申した常用漢字表でも、新字の「姫」にはカッコ書きの旧字は添えられていませんでした。これに対し民事行政審議会は、昭和56年4月22日の総会で、常用漢字表1945字を子供の名づけに認めると同時に、常用漢字表のカッコ書きの旧字355字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを、子供の名づけに認めることにしました。この論理にしたがうと、常用漢字表の「姫」にはカッコ書きがないので、旧字の「」は子供の名づけに認めない、ということです。

昭和56年10月1日、常用漢字表が内閣告示されると同時に、戸籍法施行規則も改正され、旧字の「」は子供の名づけに使えなくなりました。それが現在も続いていて、新字の「姫」は出生届に書いてOKですが、旧字の「」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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