旧字の「淚」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「涙」は常用漢字なので、やはり子供の名づけに使えます。ただし、旧字の「淚」には、かなり複雑な歴史があるのです。
昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表には、旧字の「淚」が収録されていました。ただし、その字体は「さんずいに戸に犬」でした。右上が「戸」だったのです。昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表は、手書きのガリ版刷りでしたが、やはり旧字の「淚」が収録されていて、その字体は「さんずいに戸に犬」でした。この時点の国語審議会は、「淚」の字体を「さんずいに戸に犬」だとみなしていたのです。
当用漢字表は、翌週、昭和21年11月16日に内閣告示されました。官報に印刷された当用漢字表では、ところが、「淚」の字体が「さんずいに戶に犬」になっていました。印刷局が官報に使っていた活字では、「淚」の右上が「戸」ではなく「戶」だったのです。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「淚」が収録されていましたので、旧字の「淚」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。しかし、その字体は「さんずいに戶に犬」だったのです。
昭和23年6月1日、国語審議会は当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表では、旧字の「淚」に代えて、新字の「涙」が収録されていました。昭和24年4月28日に、この当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「涙」が当用漢字となり、旧字の「淚」は当用漢字ではなくなってしまいました。 当用漢字表にある旧字の「淚」と、当用漢字字体表にある新字の「涙」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「淚」も新字の「涙」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。
昭和56年3月23日、国語審議会は常用漢字表を答申しました。常用漢字表の「涙」には、カッコ書きで旧字の「淚」が添えられており、旧字の字体は「さんずいに戶に犬」でした。これに対し民事行政審議会は、昭和56年4月22日の総会で、常用漢字1945字を子供の名づけに認めると同時に、常用漢字表のカッコ書きの旧字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字だけを、子供の名づけに認めることにしました。
ところが、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、旧字の「淚」は子供の名づけに使えるものの、その字体は「さんずいに戸に犬」となっていました。民事行政審議会は、右上が「戸」の標準漢字表字体を復活させてしまったのです。昭和56年10月1日の戸籍法施行規則改正では、旧字の「淚」が人名用漢字になりましたが、その字体は「さんずいに戸に犬」でした。つまりこの時点では、常用漢字の「涙」と人名用漢字の「淚」の両方が子供の名づけに使えたのですが、字体はいずれも右上が「戸」だったのです。
平成16年9月27日、法務省は戸籍法施行規則を改正しました。この改正で、人名用漢字の「淚」の字体は、右上が「戸」から「戶」に変更されました。「さんずいに戶に犬」の字体が、23年ぶりに復活したのです。逆に言えば、右上が「戸」の「淚」は、昭和56年10月1日から平成16年9月26日の間だけ、子供の名づけに使えたということになります。現在では、新字の「涙」も旧字の「淚」も出生届に書いてOKですが、字体はそれぞれ「さんずいに戸に大」と「さんずいに戶に犬」なのです。