「百学連環」を読む

第3回 総論の構成 その1──「学術技芸」

筆者:
2011年4月22日

前回は、「百学連環」全体の大きな構成を見ました。今回は、ここで読解してゆく「総論」について、さらに詳しく見てみることにしましょう。全集第4巻には、編者が作成した詳しい総目次がついています。その「総論」に該当する部分を眺めてみようというわけです。

「また目次か!」と思う読者もいるかもしれません。筆者としても、じらさずにさっさと本文にとりかかりたいところです。でも、込み入った内容の書物を読む際には、ちょっとしたコツがあります。いきなりとりかかるよりも、まず目次を見ておくと、後々よいことが多いのです(ついでに言えば、索引がある場合は索引も先に見ておくと、理解に役立ちます)。

ささやかな経験から思うことですが、それはちょうど見知らぬ土地へ初めて足を踏みれるとき、事前に地図などを見て大まかな様子を頭に入れておくことに似ています。よく分からないなりに全体をぼんやり見ておいて、後で細部に立ち入ったときに、「ああ、全体図に書かれていたのは、このことだったか」と捉え直すという寸法です。絵を描くときに、いきなりまつげの1本1本から描くのではなく、まずは全体をざっと素描してみるのにも似ています。要するに、物事をマクロとミクロの両方の視点から眺めると言ってもよいでしょう。

さて、それでは「総論」の目次はどうなっているでしょうか。目次は二段階になっていますが、まずは大きな見出しだけを並べてみます。

 緒言 百学連環の意義
 学域
 学術技芸(学術)
 学術の方略 Means
 新致知学
 真理

以上の六つの項目があります。「緒言」は「百学連環の意義」という言葉から推察されるように、いったいぜんたいこの講義にはどんな意義があるのかを説こうというものです。

その上で、「学域」「学術技芸(学術)」という、本講義のテーマ、取り扱う対象について述べられるであろうことが分かります。「学域」とは、おそらく「学問」あるいは「学術」の領域」ということでしょう。

次の「学術技芸(学術)」という項目からは、それぞれの下にさらに小項目が立てられていますので、それを検分しながら見てみることにします。

まず「学術技芸(学術)」という言葉です。似た言葉として「学問」が連想されますが、ここでは「学問」ではなく「学術」と見えます。これはどういう含意だろうかと思って「学術技芸(学術)」以下の小項目を見ると、こうあります。

 学と術
 観察 Theory 実際 Practice
 知と行
 単純の学 Pure Science 適用の学 Applied Science
 技術 Mechanical Art 芸術 Liberal Art
 文学(文字、言語)、文章 Literature

「学と術」、つまり「学術」とは、この二つの言葉が組み合わされたものであることが分かります。ひょっとしたら「そんなのは当然ではないか」、と思うかもしれませんが、ちょっと待ってください。やがて見てゆくように、西周がこうした言葉を使っているのは、いまから140年ほど前のこと。言ってみれば、私たちにとって当然に見える言葉であっても、彼らにとっては自明とは限らないのです。むしろ、私たちは、彼らのおかげでこうした用語を、今日、当たり前のものだと思うようになったと言っても過言ではありません。

ですから、一見すると当たり前に見える言葉に出会った場合でも、ここではできるだけ当然だと思わずに、検討してみたいと思います。みなさんも、同じように「おや?」と思うことがあったら、ぜひその疑問を念頭に置いてみてください。ここでもさっそく、「学」と「術」はどう違うのか、なぜ組み合わされるのかという疑問を念頭に置くことにしましょう。

次に「観察 Theory」と「実際 Practice」という対が現れます。漢語に添えられた英語を見ると、いまなら「理論と実践」と書きたくなるところでしょうか。しかし、Theoryを「観察」と訳したのは、その英語の語源に立ち戻って考えてみると、なかなか見事です。それはともかく、意味としては分かります。「学と術」と「観察と実際」の関係を、ここではどう捉えようとしているのだろうか、という疑問が浮かびます。

さらに三つ目の項目として「知と行」という対が登場します。ここには英語が添えられていませんが、「知ること」と「行うこと」と読めば、先の「観察と実際」に平行している言葉のようにも見えます。「知行」と言えば、日本史の中世・近世辺りに出てくる用語も連想されますが、果たして西先生はどのような意味で使っているのでしょうか。

「単純の学 Pure Science 適用の学 Applied Science」も、日本語よりかえって英語のほうが分かりやすいかもしれません。当世風に「純粋科学」と「応用科学」と訳したくなるところですが、ここではScienceという言葉が、もともとは「学問」という意味であったことに注意したほうがよさそうです。現在では、「サイエンス」と言えばほとんど「科学」のことを意味しますが、サイエンスという言葉がそのように狭められて定着したのは、比較的最近の出来事でした。字面はともかくとして、この対語も意味としては理解できそうです。

残るはあと二つ。まずは「技術 Mechanical Art 芸術 Liberal Art」です。この二つの語は、Artが共通してます。昨今「アート」と言えば、これもまた「美術」や「芸術」に対応する言葉に縮められていますが、元来は「技」「術」といった意味を持っていました。MechanicalとLiberalは、この場で解説するには、少し込み入っていますので、後回しにしましょう。ここでは「技術」と「芸術」が「術」という共通項を持つものとして並べられていることに注意しておきたいと思います。

そして最後が「文学(文字、言語)、文章 Literature」です。ここまでの小見出しは、いずれも「と」で二つの言葉を併置していましたが、ここに来て違う形が現れました。ぱっと見て面白いのは、「文学」という言葉に「(文字、言語)」と添えられているところです。ここまでの語と同じように、現代の感覚で見ると、「文学」とLiteratureは、小説や詩やそれに関する批評のようなものを連想させます。小説も詩も「文字」や「言語」でつくられるものですから、そういう意味では不思議はありません。しかし、「文学(小説、詩)」ではなく「文学(文字、言語)」と書かれていることには注目してみたいところです。

以上の小項目は、「学術技芸(学術)」という項目の下に置かれたものでした。最後の「文学、文章」の項目を例外として、その他の小項目は、いずれも学術をなんらかの基準で分類するもののようです。ですから、このくだりを読んでゆけば、「百学連環」が取り扱う学術の全体像を一望できると予想されます。

「学術の方略 Means」以下については、次回検討してみることにしましょう。

筆者プロフィール

山本 貴光 ( やまもと・たかみつ)

文筆家・ゲーム作家。
1994年から2004年までコーエーにてゲーム制作(企画/プログラム)に従事の後、フリーランス。現在、東京ネットウエイブ(ゲームデザイン)、一橋大学(映像文化論)で非常勤講師を務める。代表作に、ゲーム:『That’s QT』、『戦国無双』など。書籍:『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』(吉川浩満と共著、朝日出版社)、『問題がモンダイなのだ』(吉川浩満と共著、ちくまプリマー新書)、『デバッグではじめるCプログラミング』(翔泳社)、『コンピュータのひみつ』(朝日出版社)など。翻訳書:ジョン・サール『MiND――心の哲学』(吉川浩満と共訳、朝日出版社)ジマーマン+サレン『ルールズ・オブ・プレイ』(ソフトバンククリエイティブ)など。目下は、雑誌『考える人』(新潮社)で、「文体百般――ことばのスタイルこそ思考のスタイルである」、朝日出版社第二編集部ブログで「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」を連載中。「新たなる百学連環」を構想中。
URL:作品メモランダム(//d.hatena.ne.jp/yakumoizuru/
twitter ID: yakumoizuru

『「百学連環」を読む 』

編集部から

細分化していく科学、遠くなっていく専門家と市民。
深く深く穴を掘っていくうちに、何の穴を掘っていたのだかわからなくなるような……。
しかし、コトは互いに関わり、また、関わることをやめることはできません。
専門特化していくことで見えてくることと、少し引いて全体を俯瞰することで見えてくること。
時は明治。一人の目による、ものの見方に学ぶことはあるのではないか。
編集部のリクエストがかない、連載がスタートしました。毎週金曜日に掲載いたします。