人名用漢字の新字旧字

第189回 「娯」と「娛」

筆者:
2019年8月29日

新字の「娯」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「娛」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。新字の「娯」は出生届に書いてOKですが、旧字の「娛」はダメ。でも、旧字の「娛」がOKだったこともあるのです。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表2528字を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、女部に旧字の「娛」が含まれていました。昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表1850字は、手書きのガリ版刷りでしたが、やはり旧字の「娛」が含まれていました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この活字字体整理案では、「娛」を「娯」へと整理することが提案されていました。報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「娛」が収録されていたので、「娛」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「娯」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「娯」が収録されていました。この時点で、新字の「娯」が当用漢字となり、旧字の「娛」は当用漢字ではなくなってしまったのです。当用漢字表にある旧字の「娛」と、当用漢字字体表にある新字の「娯」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「娛」も新字の「娯」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。つまり、昭和24年の時点で、旧字の「娛」も新字の「娯」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

それから30年あまりが過ぎ、昭和56年3月23日に国語審議会が答申した常用漢字表では、新字の「娯」が収録されました。旧字の「娛」は、カッコ書きにすら入っていなかったのです。昭和56年4月22日、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを、子供の名づけに認めることにしました。旧字の「娛」はカッコ書きに入っていないので、今後は子供の名づけには認めない、と決定したのです。昭和56年10月1日、常用漢字表は内閣告示され、新字の「娯」は常用漢字になりました。同じ日に、旧字の「娛」は子供の名づけに使えなくなってしまいました。昭和56年の時点で、新字の「娯」は出生届に書いてOKだけど、旧字の「娛」はダメということになったのです。

それからさらに30年が過ぎ、平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「娯」と旧字の「娛」の両方を収録していました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「娯」に加え、旧字の「娛」が書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「娯」はOKですが、旧字の「娛」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。