第2回は「漢字整理に関する資料」と書かれた包みのなかから。ほんの一部を公開します。
ここでの「常用漢字」とは「常用する漢字」として(使用頻度の高さなどから)さだめた「三省堂常用漢字三千字」(昭和10年前後)のことをさし、その見直しのための資料と推測します。詳しくは『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』のp.161またはp.169などをご覧ください。p.171にはその一部を写真で入れています。
第2回は「漢字整理に関する資料」と書かれた包みのなかから。ほんの一部を公開します。
ここでの「常用漢字」とは「常用する漢字」として(使用頻度の高さなどから)さだめた「三省堂常用漢字三千字」(昭和10年前後)のことをさし、その見直しのための資料と推測します。詳しくは『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』のp.161またはp.169などをご覧ください。p.171にはその一部を写真で入れています。
ときは大正、関東大震災の混乱のさなか、三省堂はベントン母型彫刻機をやっと入手した。この機械は、当時、国立印刷局と築地活版、そして三省堂と日本で3社しかもっていなかった。
その後、昭和初期には漢字の彫刻に着手。「辞典用の活字とは、国語の基本」という教育のもと、「見た目にも麗しく、安定感があり、読みやすい書体」の開発が進んだ。
……ここまでは三省堂の社史を読めばわかること。しかし、それはどんな時代であったか。そこにどんな人と人とのかかわり、会社と会社との関係があったか。その後の「文字」「印刷」「出版」にどのような影響があったか。
文字・印刷などのフィールドで活躍する雪朱里さんが、当時の資料を読み解き、関係者への取材を重ねて見えてきたことを書きつづってきた連載が、書籍になったのは去年のこと。→『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』
書籍化にあたっては新資料などからわかったことなども加え、再構成・加筆をし、書き下ろしを加えています。さらに、補遺というかたちで、書籍に盛り込めなかったことなどを4回に分けて掲載しました。
そして、さらに、その後また資料が出てきておりまして……こちらは編集部が連載をお借りする形でおこなっているものです。何かあれば掲載するというようなかたちの不定期掲載です。