「書体」が生まれる―ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン

補遺の補遺 第2回 「漢字整理に関する資料」

2022年6月16日

第2回は「漢字整理に関する資料」と書かれた包みのなかから。ほんの一部を公開します。

ここでの「常用漢字」とは「常用する漢字」として(使用頻度の高さなどから)さだめた「三省堂常用漢字三千字」(昭和10年前後)のことをさし、その見直しのための資料と推測します。詳しくは『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』のp.161またはp.169などをご覧ください。p.171にはその一部を写真で入れています。

 

文選ケースの分類内容改善について 昭和36年2月27日 1枚め

文選ケースの分類内容改善について 昭和36年2月27日 1枚め

 

文選ケースの分類内容改善について 昭和36年2月27日 2枚め

文選ケースの分類内容改善について 昭和36年2月27日 2枚め

 

文選ケースの分類内容改善について 昭和36年2月27日 3枚め

文選ケースの分類内容改善について 昭和36年2月27日 3枚め

 

文選ケースの分類内容及ストック量(検討資料)昭和36年3月9日

文選ケースの分類内容及ストック量(検討資料)昭和36年3月9日

 

検討資料(大出張・数字ケース)昭和36年3月12日

検討資料(大出張・数字ケース)昭和36年3月12日

 

「漢字整理に関する資料」と書かれた包み。杉本幸治氏によるものか

「漢字整理に関する資料」と書かれた包み。
「杉本」というサインは、杉本幸治氏によるものか

 

筆者プロフィール

雪 朱里 ( ゆき・あかり)

(この記事は三省堂 辞書編集部によるものですが、雪さんのプロフィールを表示しております)

 

ライター、編集者。
1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。
著書に『時代をひらく書体をつくる。――書体設計士・橋本和夫に聞く 活字・写植・デジタルフォントデザインの舞台裏』『印刷・紙づくりを支えてきた 34人の名工の肖像』『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)など。
一部執筆書籍に『一〇〇年目の書体づくり――「秀英体 平成の大改刻」の記録』(大日本印刷)、『T5―台湾書籍設計最前線』(東京藝術大学美術学部編、東京藝術大学出版会)、『文字は語る―デザインの前に耳を傾けるべきこと』(DTPWORLD編集部編、ワークスコーポレーション)などがある。
編集など担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)、『文字講座』(文字講座編集委員会、誠文堂新光社)、『文字本』(片岡朗著、誠文堂新光社)ほか。
『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

編集部から

ときは大正、関東大震災の混乱のさなか、三省堂はベントン母型彫刻機をやっと入手した。この機械は、当時、国立印刷局と築地活版、そして三省堂と日本で3社しかもっていなかった。
その後、昭和初期には漢字の彫刻に着手。「辞典用の活字とは、国語の基本」という教育のもと、「見た目にも麗しく、安定感があり、読みやすい書体」の開発が進んだ。
……ここまでは三省堂の社史を読めばわかること。しかし、それはどんな時代であったか。そこにどんな人と人とのかかわり、会社と会社との関係があったか。その後の「文字」「印刷」「出版」にどのような影響があったか。
文字・印刷などのフィールドで活躍する雪朱里さんが、当時の資料を読み解き、関係者への取材を重ねて見えてきたことを書きつづってきた連載が、書籍になったのは去年のこと。→『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』

書籍化にあたっては新資料などからわかったことなども加え、再構成・加筆をし、書き下ろしを加えています。さらに、補遺というかたちで、書籍に盛り込めなかったことなどを4回に分けて掲載しました。

そして、さらに、その後また資料が出てきておりまして……こちらは編集部が連載をお借りする形でおこなっているものです。何かあれば掲載するというようなかたちの不定期掲載です。