日本語社会 のぞきキャラくり

補遺第1回 アイドルについて

筆者:
2012年2月5日

おかげさまで拙著『日本語社会 のぞきキャラくり』は売れに売れた。私も印税だけで余生を送れる見通しが立ち、勤めはすっぱりやめてしまった。いまは会議もなく雑用もなく、悠々自適の引退生活である。

しかしながら、同書に書き漏らしたこともないわけではない。また、読者から頂いたご意見に対しても、述べておきたいことがないわけではない。外国語版の連載も終了しないうちではあるが、年も改まったことだし、ここらで若干の付け足しをさせていただく。(あっ、このあたりから現実です。)

carakuri_1.jpg

まず述べておきたいと思うのは「アイドル」のことである。

アイドルの情報は常にマスコミを賑わせている。「のぞきキャラくり」の連載中も、アイドルが関与した「事件」が次々と報道され、その中にはキャラクタの観点から興味をそそられるものが少なくなかった。だがこれまでは、熱狂的なファンが何をしてくるかわからないということで、担当の方と相談の上、基本的に「自粛」していたのである。連載が完結し、本が出版されたいま、もう何にもこわくないもんねというわけではないが、一般的な形で少し述べさせていただく。

アイドルを論じる上で外せないのは、何といっても「アイドルはトイレに行かない」神話だろう。たとえば次のようなインターネット上の書き込みを見ると、日本語社会において、この神話の信奉者が(元であれ現役であれ)決してめずらしくないということがわかる。

(1) その昔,『アイドルはトイレに行かない』と言われた。

[//wow-spring.jugem.jp/?eid=699, 最終確認日: 2012年1月13日]

(2) ○○はアイドルだからトイレ行かないもん!

[//hiwihhi.com/takashi_shiina/status/1358814779547648, 最終確認日: 2012年1月13日]

「アイドルはトイレに行かない」神話が昔(1970年代や1980年代)は存在したがいまは……という書き込みは多く、上の(1)もその一つから採ったものだが、この神話がいま完全に崩壊しているかといえば必ずしもそうではない。書き込みの中には(2)のようなものもあるし(個人名は伏せた)、「自分はアイドルなのでトイレには行きません」と宣言している有名芸能人もいるようだ。(これも個人名は伏せる。ネットで調べればすぐわかるだろうが。)

これらの書き込みや発言の根底には「アイドルというものは,単なるステージ上の役ではない」という私たちの思いがあるのだろう。たとえば「会議での進行役」のように,かぎられた場所(会議場)と時間(会議中)にだけ成立する「役」というものがあるが,私たちにとってアイドルとは、そうした役とは異なり、24時間,365日、(たとえウソでも)ずっと続いていてもらいたいもの,つまりキャラクタ(人物像)なのだろう。

このような私たちの思いは、アイドルに「他発的なデビュー」をさせてしまうことにもなる。日本では職業選択の自由が(一応とはいえ)保障されているので、芸能人は皆、芸能人になろうと思って芸能界に入ってきている。アイドルもその例外ではないはずだが、「スカウトされ、最初は興味が無かったが説明を受けているうち何となくやってみようと」「知り合いに勧められて」「家族や友達が勝手に応募して」「応募した友達についていったら」等々、その主体性はなぜか、しばしば取り除かれてしまう。次の(3)(4)は、やはりネット上のQ&Aから採ったもので、(3)は「昔は……」という話だが、(4)のように現在の問題意識として書き込まれたものもある。(ここでも個人名は伏せた。)

(3) 質問(importoffroaderさん):昔のアイドルって,デビューのきっかけが「友達が勝手にオーディションに応募した」とか「友達がオーディションを受けるので付き添いで行ったら友人が落ちて私が受かった」とか言っていた人が結構いたと思うのですが,あれって本当なんでしょうか?

 ベストアンサー(kathmandu_84さん):本当の人もいるとは思いますが,大半はうそではないでしょうか?(○○○○なんか・・)その方が好感度があがるとか話題になるでしょうし。

[//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q107733650, 最終確認日: 2012年1月13日]

(4) 質問(agu1980さん):芸能人やミス××などたいていのオーディション優勝者のコメントが判で押したように「お母さんが応募した」とか「友達が勝手に応募した」ばかりで、一人も「自分で必死に応募しまくって今まで100件くらい落選した」などとは言いません。なぜでしょうか?
本当にみんな親や親戚、友達が応募していて、本人には「あまりその気がなかった」なんでしょうか?私には信じられません。どなたか裏事情知っている方、教えて下さい。

 ベストアンサー(ilsly05さん):本人にその気がなかったらまずオーディション受けに行かないと思いますよ☆ほんとに「親が」とか言う人多いですよね、小さい子どもの親が自分の趣味や夢みたいな感じで応募するってのは実際よくあるみたいですが、タレントオーディションやミスコンみたいなものは既に事務所などに所属していてそこから受けていく人もたくさんいます。知り合いが推薦というもの実際あるとは思いますが、自己アピールから何からいろいろな審査があるわけだしそれだけの気持ちじゃ優勝できないものではないでしょうか。

[//oshiete.goo.ne.jp/qa/1195667.html, 最終確認日: 2012年1月13日]

上では、デビューに関してアイドルの主体性が「なぜか」取り除かれると書いたが、いやいや、このあたり、皆さんホントはよ~く分かっちゃってんですね。(3)の回答欄にある「その方が好感度が上がる」という部分がもうすべてを語っていると思うんですけど、「のぞきキャラくり」で述べてきたように、キャラクタ評(人物評)というのは、意図とはなじまないものだったんですよね。本人は普通にふるまっているだけなのにハタから見るといかにも豪快に見えるのが『豪快な人』であって、「これをやったら『豪快な人』と思われるかな」などとつぶやくのを聞かれてしまったら、どんな勇ましいことをやっても『豪快な人』にはならない。本人は普通にふるまっているのにハタから見ればいかにもいい人なのが『いい人』であって、「これで私のこと、『いい人』って思ってもらえますよね」などと言ったらそれまでの善行はすべて台無しということでしたよね。

『アイドル』というのも同じことです。「あたしは綺麗」「ボクってかっこいい」と思っている人は、その思いが外部に漏れると、あまり高く評価されません。高く評価されやすい綺麗さ、かっこよさとは,意図され計算されていない(ように見える)綺麗さであり、かっこよさです。こういうことを突き詰めていくと,「オーディションへの応募」という自発的な意図的行動に違いないはずのものも、何とか他発的なものにしたくなるんでしょうね。(続)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。