日本語社会 のぞきキャラくり

第8回 「キャラかぶってるじゃん」

筆者:
2008年10月12日

ここまで折に触れ述べてきたのは、キャラクタが一貫していないのはみっともないということである。

いまはもうすっかり『ボス』キャラで「オレはな」などとしか言わない人が、初対面時の会話を記録したビデオの中では「あ、あの私、○○です」のようにオズオズと自己紹介したり、他人の話に小刻みにうなずいたりして、無難な『いい人』キャラを繰り出している。ビデオを観られる方もそうだろうが、観ているこちらも、なかなかはずかしいものがある。

それにしても、この時点では、こいつはまだ『いい人』キャラだったのに。いったいどうして、あんな『ボス』キャラにまで育ってしまったのだろう?

答えは、私たちの日々のやりとりにある。さまざまな話題をめぐる会話の中で、お互いを探り合い、ふとした機会をとらえてさりげなくタメ口をきいたり、ウンチクをたれて講釈したりする中で、こいつは暗黙のうちに「オレはあんたたちよりも上」ということを私たちに認めさせ、『ボス』キャラにのし上がっていったのだ。いや、私たちの方にだって、「とりあえず、こいつに『ボス』やらせとこ。こっちは『いい人』が楽だわ。適当に感心して、相づち打ってればいいから」と、かつぎ上げ、祭り上げた覚えがないと言い切れるか。

私たちが繰り出すキャラクタは、もちろん人格によって或る程度決まるところもあるが、それだけでなく、このようにやりとりの中で、調整されて決まっていくものでもある。キャラクタをなかなか一貫させられない最大の原因はここにある。

クマノミ類は、集団の中で最大の一匹がメスになり、それに次ぐ一匹がオスになる(残りは中性のままである)。メスが死ねばオスがメスになり、残った中性のうち最大の一匹が新たにオスになると言う。他者との調整の中で決まっていくという、私たちのキャラクタは、クマノミ類の世界の「オス」「メス」と少し似ているかもしれない。

数年前、会話データの収録のために、見ず知らずの人どうしで雑談してもらうことが何度かあった。収録されたビデオを観察していた、女性の大学院生がこともなげに言う。

「この女の人は基本的に『姉御』キャラ。この女の人も基本的に『姉御』キャラ。会話の最初のところで二人はちょっと様子を見合って、それでこっちの方が『姉御』キャラを取りました。こっちは『妹』キャラになりましたね」

私はびっくりしてビデオを見直したが、音声にしても仕草にしても、なかなかそれとわからない。だが、同性にはかなり明らかなことらしい。いずれくわしく調べてみたいところだが、『ボス』キャラと『ボス』キャラがお互い調整もせず、ガチで同席したりするのはよろしくないということだけははっきりしている。それは、「やだ、キャラかぶってるじゃん」が口ぐせの女子高生だって知っていることなのだ。

(え、某国の絨毯売り? それはまた次回に書きます。)

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。
URL://ccs.cla.kobe-u.ac.jp/Gengo/staff/sadanobu/index.htm

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

「いつもより声高いし。なんかいちいち間とるし。おまえそんな話し方だった?」
「だって仕事とはキャラ使い分けてるもん」
キャラ。最近キーワードになりつつあります。
でもそもそもキャラって? しかも話し方でつくられるキャラって??
日本語社会にあらわれる様々な言語現象を分析し、先鋭的な研究をすすめている定延利之先生の「日本語社会 のぞきキャラくり」。毎週日曜日に掲載しております。