日本語教育史上にはじめてハワイの記事が登場するのは、1893年開校の日本語学校です。ハワイ島ハラワ公立学校の校舎を借りて発足しました。それより1年前の1892年には、ハワイ初の日系新聞「日本週報」が発刊されています。続いて、1895年にマウイ島クラのメソジスト教会で日本語学校が、1896年には、日本人小学校が設立されました。
ハワイ大学に日本研究コースが開設されたのは、1909年でした。1923年には、ホノルル教育会編『日本語読本』が発行されています(詳しくは、山下暁美著『解説日本語教育史年表』国書刊行会をご覧ください)。
このように、ハワイの日本人移民は、2世の日本語教育に熱心でしたが、1924年の排日移民法締結以後は、英語によるアメリカ市民育成の教育に重点が置かれるようになりました。2世、3世は、学校では標準語の英語、家では両親、祖父母とは日本語、兄弟とは英語と日本語という生活を送りました。しかし、ハワイの日常生活の英語は、ピジン英語といってハワイ語、中国語、ポルトガル語、日本語などの影響をうけた英語です。ですから、正確には3言語の生活です。
日本語は、日本の教科書を基準に使用していましたから、読み書きは、日本語学校で学んだ標準語、話し言葉は、移民出身者の多い山口県、広島県、熊本県、福岡県など西日本の方言の影響を強く受けた共通語が使用されました。今日、ハワイを訪れると元気な2世、3世の方と日本語で移民の歴史や日系人社会についていろいろ聞くことができます。
ハワイで使用されている日本語の中に、西日本の方言の影響を受けたことばのほかに、ハワイで新しく生まれた日本語があります。
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「Chichi Mochi(乳餅)」【写真1】は、その例の一つです。Chichi-Mochiは、乳白色の色をしたやわらかくて丸くて甘い餅です。台湾や北京には、乳餅が存在するようです。あんが入っています。
次の「Taro(タロ)」【写真2】は、タロイモのポテトチップスです。日本で「タロ、ちょうだい」と言っても通じないでしょうね。タロイモと、さつまいも(Sweet Potato)と、Trio(タロイモ・サツマイモ・ジャガイモのミックス)はそれぞれ8ドル、シャガイモだけのポテトチップスは、6ドルで売られていました。Taroは、元々ポリネシア語でTaloと表記されていたもので、原産はどうも太平洋諸島のようです。日本のさといももその一種とされています。ハワイには、タロイモのパンケーキ、パラオのみやげには、タロイモ焼酎もあります。
「Hanapua」【写真3】は、日本で花札と呼ばれるもので、ハワイ・フラワー・カード・ゲームと訳がついています。日本語の「Hana・花」とハワイ語の「Pua・花」で新語を作っています。
編集部から
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。