「CAN’S CITY(きゃんすシティ)」【写真1】って、どこの市?と思われるかもしれませんが、滋賀県東北部(湖北)にある長浜市(中心市街地は「黒壁のまち」として知られています)の新市街地の商店が集まっている地域の名前に使われています。意訳するならば「みなさんがおいでになるまち」という意味です。「きゃんす」とは、もともと「来られる」という意味の敬語です。「き(来る)+やんす(尊敬語)」が元の形で、最近では親愛表現として使われています。
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「もうすぐきゃんす、きゃーる」「今、きてやんす、きてやんせん」「きゃんせん、きゃーれん、きーひん(来られない)」「きゃんた、きゃんした(来られた)」「きゃんせなんだ、きゃんせんかった、きゃーれんかった(来られなかった)」のように言います。「いらっしゃい」という命令形は、「きゃんせ【写真2】、きやす、きない、おいやす(おいでなさい)」のなどの形があります(第34回参照)。「来ない」と書きますが、「また、来(き)ないな」のように言います。
目上の人やお客さん、先生やお寺の住職などに対しては、「きやはる(いらっしゃる)」「きやはらへん(いらっしゃらない)」「きはった、きやはった(いらっしゃった)」「きやはれへんかった(いらっしゃらなかった)」と言います。
長浜市は縮緬、呉服、生糸を通じて京都との関係が古くからありました。長浜の店が京都店を開いたり、移転してしまったりしたこともあります。仕入れの往来、行儀見習いに女性が京都に行くなどを通じて市街地では京都ことばを古くから使っていました。
市街地を離れると、「ごんす(来られる)」「ごんせん(来られない)」「ごんた、ごんした、こんした(来られた)」「ごんせなんだ、ごんせんかった(来られなかった)」がかつては使われていました。「御座あり」が元の形とされています。「ご縁さん(浄土真宗の住職、ご院さんの変化した形)、ござったで(いらっしゃったよ)。みたり(3人)ござった。」などという言い方をしていました。
「やんす・こんす」【写真3】の「やんす」は、「居やしゃんす」が元の形とされ、「いらっしゃる、おられる」の意味です(「こんす」は「きやしゃんす」)。否定形は「やんせん(おられない)」、過去形は「やんた、やんした(おられた)」です。「今、家には誰もやんせんで」のように話題に登場する人物が身内で、話す相手が親しい間柄のとき使います。「来てやんす(来ておられる)」のように複合動詞にもなります。
長浜では、例えば、近所の子どもが遊ぼうと誘いに来た場合などで、母親が「うちの子、今勉強してやんすさかい(したはるさかい)、後でまた、誘ったって」(直訳すると、うちの子どもは今勉強しておられるから、後でまた、誘ってあげて)や「うちの人、昼寝したはる(してはる)」などと身内に尊敬語を使って言うことがあります。 若い世代は、これらの敬語を親愛表現や相手に対する配慮と受けとめているようです。
第143回で、鹿児島の「キャンセビル」が紹介され、方言をローマ字書きする例が増えていることが指摘されています。長浜市の“CAN’S CITY(英語)”、福島市の“CORASSE(コラッセ・英語+イタリア語・第64回参照)”などは、方言を外国語にかけた例と言えます。
この記事を書くにあたって、滋賀県立近代美術館長の秋山茂樹氏、曳山博物館元館長の西川丈雄氏にご意見をいただきました。お礼申し上げます。
編集部から
皆さんもどこかで見たことがあるであろう、方言の書かれた湯のみ茶碗やのれんや手ぬぐい……。方言もあまり聞かれなくなってきた(と多くの方が思っている)昨今、それらは味のあるもの、懐かしいにおいがするものとして受け取られているのではないでしょうか。
方言みやげやグッズから見えてくる、「地域語の経済と社会」とは。方言研究の第一線でご活躍中の先生方によるリレー連載です。