特別寄稿

手指は「シュシ」ですか、「テユビ」ですか。―コロナ時代のことば―

筆者:
2021年1月8日

コロナウイルスの感染を防ぐために、店でもオフィスでも入り口にアルコールがおかれるようになりました。スーパーなどではアルコールのおかれた壁に「手指の消毒をおねがいします」と貼り紙も見られます。さて、この「手指」何と読みますか。

毎週通っている区立体育館の体操教室で聞いてみました。体操の先生は即座に「『シュシ』ですよ。私は体育館の入り口で『シュシショウドクお願いします』と叫んでますもの」と答えました。教室の60代70代の受講者に聞くと、「『テユビ』でしょ、他に言い方あるの?」「「テユビ」だよ、テレビもいつも『テユビ』って言ってるよ」5人の受講生は全員「テユビ」でした。

介護士養成のテキストにも、介護福祉士国家試験にも人体の部位の名称として、このことばはよく出てきます。介護の教科書で「手指」がでてきてもこの熟語は常用漢字表に示されている漢字ですのでルビは振られませんから、「シュシ」と読むのか「テユビ」と読むのかはわかりません。

介護福祉士の国家試験問題は、外国人受験者のために総ルビ問題も準備されていますので、それをみると熟語の読み方がわかります。最近の国家試験を見てみます。

1.手指(しゅし)の細かな動作が難しい利用者に,マグネット式のボタンを勧める。

(第32回,問題39の選択肢1)

2.手洗いと手指(しゅし)の消毒を行う。

(第29回,総合問題1,問題114選択肢)

介護の専門用語としては「手指(しゅし)」であることがわかります。では国語辞典ではどうなっているでしょうか。まず「シュシ」から引いてみます。

① しゅ-し【手指】手のゆび。「―を切断する」

(『明鏡国語辞典2版』)

② しゅし【手指】手のゆび。「〔手話の〕―動作」

(『三省堂現代新国語辞典6版』)

③ しゅ-し【手指】手のゆび。―紋【手指紋】手の指紋。

(『広辞苑7版』)

「手指」の意味としてはどの辞書も、「手のゆび」と記述しています。そして、「ゆび」の意味で使う用例を載せています。

この意味だと、「手指の消毒」は「指」だけの消毒になってしまいますね。それでいいのでしょうか。

次に「テユビ」を調べてみます。「テユビ」を載せている辞書は少ないのですが、次の2例がみつかりました。

④ て ゆび【手指】手の指。しゅし。

(『三省堂国語辞典7版』)

⑤ て ゆび【手指】手の指。手や指。「―の消毒」

(『新明解国語辞典8版』)

④は、①②③の「シュシ」と同じことを言っています。そして「しゅし」とも記していて、この2語は同じであるとしています。

⑤は「手の指」と「手や指」とふたつの意味を載せています。そして用例としてアルコールの傍の貼り紙と同じ消毒の例が出ています。なお、⑤の辞書は昨年11月に出たばかりです。この新8版以前の版には「しゅし」も「てゆび」も採録していなかったのが、コロナの騒ぎが始まってこの語に気づいて取り入れました。だから、今の意味として「手や指」を書き込んだのです。コロナは国語辞書も動かしたのです。

次に介護士養成用のテキストで「手指」を見てみます。(下線遠藤)

⑥ 関節の変形は,手指の関節の変形がよくみられる。

(『発達と老化の理解』ミネルヴァ書房p68)

⑦ 湿らせたガーゼを手指や割りばしに巻きつけて、歯の表面や口腔粘膜などを拭く

(『生活支援技術Ⅲ』建帛社p60)

⑧ (お風呂は)手指・四肢のリハビリテーションになる。浮力により手指・四肢の動きがよくなる。

(同上p2)

⑨ 感染は,手指を介して起こることが最も多い。手指の消毒は施設内感染を予防するうえで,重要な対策のひとつである。

(『生活支援技術Ⅱ』建帛社p169)

これらの文章に使われている「手指」をよくみると、⑥⑦は「ゆび」のことを、⑧⑨は「てとゆび」のことを指していることがわかります。実際に使われている「手指」は、辞書の①~④が述べる「手のゆび」の意味だけでなく、⑤の記すようにふたつの意味で使われているのです。

ところで、「手指」ということばはいつごろから使われているのでしょうか。

明治の初めごろの医学書や医学辞書を見てみます。明治3年の『解体説約』には「五指」「毎指」という語が出ていて、「ユビ」のことを「指」と呼んでいたらしいことがわかります。明治6年『解剖訓蒙』には、「〔指〕フィンゲル」と記されています。フィンゲルつまりFingerは日本語の「指」にあたるということです。日本最古の医学辞典と言われている明治6年の『医語類聚』のFingerの訳語には「指」と記されていますが、同じ年明治6年の『外科拾要』という医学書には「手指牽縮」という病名が記され、ここで「手指」ということばが使われていることがわかります。他の医学書でもラテン語Digiti manusの訳語として、ある辞書は「手指」を、ある辞書は「指」を載せています。「手指」「指」の読み方はルビがない文献の場合はわかりません。男童男童女のためとして書かれた人体の名称の本には

テ           (シユ)
タナゴゝロ テノヒラ  (シヤウ) 手心(シユシム)
ユビ          ()

(『暗射肢体 指南図』M9大槻修二撰 石川治兵衛)

のように 和語を先に出し、漢字とその音を記しています、つまり日常語の「ゆび」は漢語の専門語では「シ」だと教えています。

FingerやDigiti manusの訳も、ある本では「手指」、別の本では「指」が記されていますが、この2語は全く同じ意味で同じ部位を指していることばです。

中国の古典でも「指 手指也」(『説文解字』)と記されていますから古くから「指」も「手指」もあったわけです。おそらくは「指」は1字の語で語として不安定だから安定した語にするために「指」のある位置である「手」をつけて「手指」としたのでしょう。「掌」を「手掌」とも言い、「腕」を「手腕」とも言うのと同じことです。また「唇」を「口唇」と言ったり、昔は足の裏である「蹠」を「足蹠」とも言ったのと同じことです。

明治時代のいろいろな本で「手指」のことばがどう使われているかを調べてみました。

明治の看護の教科書を見ると

⑩ 「必ず衣服及び手指(ルビ:下(左)に「てゆび」)に充分消毒法を行フヘシ」

(『日本赤十字社看護法教程』p29)

⑪ 「(昇汞水を)手指洗滌(ルビ:上(右)に「しゆしせんでき」、下(左)に「てゆびをあらふ」)ニ用フルニハ…」

(同上p35)

と、左右にルビがふられているのが見つかりました(この原稿は横書きですので、上下としましたが、原書は縦書きなので、左右についています)。⑩は「手指」の左側に「てゆび」と和語を示すルビが振られ、⑪では右側に「しゅし」と読み方のルビ、左側に「てゆび」と、その日常的な意味を示すルビが振られています。和語である日常語は「てゆび」で、漢語である専門用語は「しゅし」というわけです。「洗滌」のルビも、右側の「せんでき」が「洗滌」という難しい漢語の読み方、左側が「あらう」という日常語を示しています。読者は漢語の読み方と意味とを同時に知ることができたのです。さらに、「手指」の意味ですが、⑩では手指を消毒し、⑪では手指を洗うと言うのですから、「ゆび」だけということではなく「てとゆび」両方を指していることがわかります。「ゆび」の意味の「手指」という熟語に、漢字「手」の意味も加わったのです。

もちろん、本来の「ゆび」の意味で使われている例もあります。

⑫ 「五本ノ手指中第一指即チ俗ニ親指ト称フルヲ母指ト云ヒ…(=5本の指の中の第1指、つまり俗に親指と言っている指を母指と言い…)」

(『手話法:新発明』p21)

「五本の手指」と言っていますから「ゆび」のことを指しています。つまり、「手指」は「ゆび」だけの意味と「てとゆび」の意味と両方の意味で使われていたのです。以上のことを整理すると、こうなります。

英語のFingerに当たる用語は「指(ゆび・し)」である、しかし「指」だけでは不安定なので「手指」とも言われた、「手指」の語は、使っているうちに「手」の字に影響されて、「ゆび」だけの意味のほかに「てとゆび」の意味でも使うようになった。

「手指」は「シュシ」と言っても「テユビ」と言ってもかまわない、「ゆび」だけの意味で「手指の指紋」という使い方もあるし、「てとゆび」の意味で「手指の消毒」という使いかたもできる、ということです。

どちらでもいいのだったら、「てゆび」にまとめてほしいですね。「シュシ」と聞いてもすぐに「手の/と指」とは思い浮かびません。まず「趣旨」?「種子」?とほかの漢語を思い浮かべるでしょう。もう一歩進めるなら、「てゆび」は「ゆび」と同じなんですから「ゆび」にしてほしいですね。

つまり、「ゆび」は最初の辞書の用例の「指の指紋」「指の切断」のように使い、「消毒」などのときは「てとゆびを消毒する」ということになります。ここでもう一歩進めましょう。「手」はもともと「手のひら+ゆび」を指しています。ですから「手を洗う/消毒する」といえば十分「てとゆびの消毒」になっています。

なんだか大騒ぎしてきたようですが、結局ふつうに「手をよく洗いましょう」と言っているのですから、わざわざ「手指を消毒してください」といわなくても「手を消毒してください」で十分だとわかったのです。

こうなると耳で聞いても目で見てもわかりにくい「手指」ということばはもう要らなくなります。何と読むのか悩む必要もなくなり、ずいぶん気持ちがすっきりしますね。

 

 

 

1月8日公開後、筆者から希望があり、修正のうえ1月12日再公開いたしました(編集部)

筆者プロフィール

遠藤 織枝 ( えんどう・おりえ)

元文教大学教授

専門:
日本語学・日本語教育
日本語の性差別研究・中国女文字研究を経て、最近は介護の日本語教育研究に軸足を置いています。特に介護の難解な用語については、近年増えて来た介護に従事する外国人にとって負担が非常に大きいので、平易化・標準化の方向を模索しているところです。

著書:
『やさしく言いかえよう 介護のことば』(共著 三省堂 2015)
『5か国語で分かる介護用語集』(共編著 ミネルヴァ書房 2018)
『利用者の思いにこたえる 介護のことばづかい』(共著 大修館書店 2019)