竹風こと登張信一郎はその著『大獨日辭典』の冒頭で、『本書は「大獨日辭典」と申します。多年の通稱となってゐた「獨和」の「和」の一字は、外交其の他に於いて、夙に廢語となってゐるもので、凡て現代語を以って譯述しようとする本書題名には、最もふさはしくありません。況んや「日本」はどこまでも「日本」であるに於いてをやであります。敢て從來の因襲を破って、「大獨日辭典」と稱する所以であります。』と記している。「和」は、中国で日本を指す「倭」に代えて用いられる字で、明治中期に刊行された大槻文彦著『言海』(六合館 明治22)では、『日本國ノ一稱、多クハ外國ニ對シテ種種ノ物事ニ添ヘテイフ。「―漢」「―文」「―譯」「―書」「―本」「―産」「―製」「―船」「―藥」』と解説されている。因みに「和」は漢和辞典でノギヘンではなく、クチヘンの部にある。
明治以来ドイツ語に限らず、英和、仏和、露和、西和などというように、外国語辞典の名称では日本語を「和」で表している(中国語辞典だけ「中日」というのは「漢和」辞典と区別するためであろう)。これは(私の推測では)ドイツ語単語を和訳したとの意味が元であろうと思われる。明治初期に『和譯獨逸辭典』(東京春風社合著 明治5)や「和譯獨逸辭書』(京都村上勘兵衛出版 明治5-6)があるように、英語でも最初の英和は『英和對譯袖珍辭書』(洋書調所 文久2)であった。また、同じ「わ」でも「龢」の字を使用した『挿入圖畫獨龢字典大全』(国文社 明治18)もある。竹風先生ご自身も同じ大倉書店から、先に『新式獨和大辭典』(明治45)、『新譯獨和辭典』(大正4)や『新和獨辭典』(共著 明治34)を著していらっしゃる。
明治以降外交面ではもっぱら「日」が使用された(日清・日露戦役、日英同盟、日米通商航海条約、日韓議定書など)。だが、「和」が廃語となっているというのは言い過ぎであろう。和服、和菓子、和風など、「和」は「洋」の対語として今日でも一般に使われている。はたして竹風先生の力説に乗る辞典は多くない。例えば『日英對照獨逸語標準單語辭典』(日獨書院 昭和6)、『日独口語辞典』(早川東三ほか著 朝日出版社 1985)、『日・英・独語辞典』(ジャパン・タイムズ編集局編 原書房 昭和47)、『デイリー 日独英・独日英辞典』(渡辺学監修 三省堂 2004)などが挙げられるが、守備範囲が狭まるようである。医学にも『日獨・獨日慣用醫語辭典』(鳳鳴堂編輯部編 昭和14)、『医学ドイツ語小辞典(独―日・日―独)』(清水・松室編 大学書林 昭和34)、『日英独医学小辞典』(藤田拓男編 南山堂 1972)などがある。これらの例のように3カ国語以上にまたがる場合「日」が使用される傾向が強い。『日独英仏対照スポーツ科学辞典』(大修館書店 1993)、『日仏英独製菓用語対訳辞典』(吉田菊次郎著 イマージュ(三洋出版貿易)1992)、『日英仏独対照服飾辞典』(石山彰編 ダヴィッド社 昭和47)等等で、語学辞書の範疇からは離れていく。