次に扱う問題は,第10回で挙げた問題その3,すなわち,真正型呪文を導入すると魔法の数だけ呪文を作らねばならないが,それにふさわしい方法はないか,というものです。ランダムに得体のしれない呪文をたくさん作ろうとすると,すぐにネタが切れてしまいます。だから,呪文作成に一定のパタンがあったほうがいい。また,いくら真正型呪文を用いるとはいえ,あまりに訳の分からない呪文ばかり出てくるようでは,読者はうんざりするかもしれません。どうしたらいいでしょうか。
作者のJ. K. ローリングはことば遊びを導入することで,この問題をエレガントに解決しました。その方法について考えてみましょう。
まず,シリーズで用いられているポピュラーな呪文をいくつか挙げてみます。オーディオブック(Stephen Fryの朗読)での発音をかな書きで表記しておきます。
(16) a. Petrificus Totalus (ペトリフィカス・トータラス) b. Expelliarmus (イクスペリアーマス) c. Expecto Patronum (イクスペクトー・パトローナム) d. Wingardium Leviosa (ウィンガーディアム・レヴィオーサ) e. Obliviate (オブリヴィエイト)
(16e)のobliviateを除けば,英語らしい発音や綴りは見当たりません。とくに語尾が違います。-usや-umで終わるものが多く,また,子音で閉じずに母音で終わるものも多い。これは,『ハリー・ポッター』の呪文がラテン語を模しているからです。英語でよく知られているラテン語のフレーズと(16)を比べてみましょう。
(17) a. magnum opus (マグナム・オーパス/最高傑作) b. vice versa (ヴァイス・ヴァーサ/逆もまた同様) c. status quo (ステイタス・クオー/現状) d. Cogito, ergo sum. (カギトー・アーゴ・サム/我思う故に我あり)
カタカナ表記したのは,英語での発音です。ラテン語の発音はこれと少し異なりますが(たとえば,vice versaはウィーケ・ウェルサとなるようです),ラテン語を知らないふつうの英語話者にとっては,英語式発音のほうがなじみ深いはずです。英語式の発音と言えども,じゅうぶんエキゾチックな趣きがあります。
語尾が-usや-umだったり,母音のaやoだったりしていますし,音の響きがよく似ていませんか。『ハリー・ポッター』の呪文は,意図的にラテン語に似せてあるのです。
実際,(16b)のExpecto Patronumは,守護霊を招来する呪文なのですが,ラテン語として文法的にも正しいそうです(あの,ラテン語は学生時代,2度ほど履修登録したのですが,やはり2度ほど途中で断念してしまったもので,伝聞のかたちでしか書けません…その,むずかしい文法を前期だけですべて終えて,後期は講読をするというたいへんハードな授業だったもので…)。
ラテン語はその昔,ローマ帝国の力が及んだ地域で広く話され,ヨーロッパでは中世以降も学問の共通言語として使われていました。今でも,生物学の学名などにラテン語は生きています。ラテン語には,時代が古く(由緒正しく),高尚で学問的なイメージが,もうひとつついでに言うと,活用が複雑でとってもむずかしいイメージが,ついて回ります。つまり,真正型呪文としての「らしさ」を出すのにうってつけなのです。