場面:洗張りする家で闘鶏がされているところ
場所:ある下級貴族邸
時節:春
人物:[ア]・[イ]・[ウ]伸子張(しんしば)りする下女 [エ]老女(祖母か) [オ]女性(妻か) [カ]審判役か [キ]乳母か [ク]赤子 [ケ]童 [コ]鶏を逃がした男か [サ]主人 [シ]・[ス]・[ソ]子息か [セ]娘 [タ]親類か [チ]家司か
建物など:①廂の柱 ②寝殿 ③柴垣 ④簀子 ⑤下長押 ⑥南廂 ⑦・㉔遣戸 ⑧板壁 ⑨半蔀(はじとみ) ⑩格子の上部 ⑪半間の簾 ⑫・㉑畳 ⑬障子 ⑭羅文(らもん) ⑮立蔀(たてじとみ) ⑯妻戸 ⑰簾 ⑱板戸 ⑲西廂 ⑳板敷 ㉒障子 ㉓的(まと) ㉕板葺 ㉖切妻 ㉗廂屋根 ㉘縁束(えんづか)
衣装・持ち物など:㋐高足駄 ㋑草鞋(わらじ) ㋒筒袖 ㋓元結 ㋔反物状にした布 ㋕張木(はりき) ㋖綱 ㋗紅梅 ㋘伸子 ㋙張木に巻かれた布 ㋚角盥(つのだらい) ㋛髪 ㋜二羽の雄鶏 ㋝・㋞雌鶏 ㋟・㋠雄鶏 ㋡数珠 ㋢腰刀 ㋣扇 ㋤土製の牛の置物 ㋥紐 ㋦懸け守り
はじめに 今回は当時の生活を思わせる洗張りと、近所の庶民たちも集まって楽しむ闘鶏とが併せて描かれている下級貴族邸の様子を見ることにします。この場面は、『年中行事絵巻』の諸本のうち、京都大学蔵本と宮内庁書陵部蔵鷹司本(巻十)と呼ばれる一部の写本にしか載っていません。ですから、今回は、「京大本巻十三」とした次第です。京大本は、ウェブ上で見ることができます。なお、線描には、詳しくは記しませんが、もう一つ別の本を参照してもらいました。京大本と違って見える箇所は、この本によっています。
洗張り(伸子張り) それでは画面右側の、庭先での洗張りの様子から見ることにしましょう。㋐高足駄や㋑草鞋を履き、㋒筒袖で垂髪を㋓元結で束ねた下女が[ア][イ][ウ]三人働いています。解き洗い(着物をほどいて水洗いすること)して㋔反物状にした布を干しているのです。ここでは、布は㋕張木(軸木とも)に回して二重にされています。普通は一重ですが、庭が狭いからでしょう。右の張木は㋖綱で㋗紅梅の木に、左は①廂の柱にかけています。
一人でいる左側の[ア]女は、原画が一部空白になっていて作業の様子が分かりませんが、これは布糊を引いていると思われます。これに続くのが、[イ][ウ]二人の女が共同でしている作業です。
[イ][ウ]二人の女は、張られた布に向かい合って、細く湾曲した串を布の両縁に刺しています。この串は、竹串の両端をとがらせた㋘伸子(しゐし・籡・簇とも)と呼ぶ、布の幅を整えてピンと張る道具です。ここから、洗張りを伸子張りとも言います。糊付けし、伸子張りにして干すことで、布は蘇るのです。奥の[イ]女は、効率をよくするために、腋に伸子を数本挟んでいます。
なお、「しゐし」という言葉は、平安時代に作られた辞書に出ています。また、『伊勢物語』四十一段の「袍(うへのきぬ)を洗ひて、手づから張りけり」とあるのも伸子張りかもしれません。しかし、『伊勢物語』の注釈書類に伸子張りという語での説明はなく、中には、解き洗いではなく丸洗いして、板張りしたと解するものもあります。
さて、二重にされた布の下側は、すでに伸子張りがされています。上側が終わっても、まだ仕事が続くようです。女たちの手前にある物を見てください。二つの㋙張木に巻かれた布が㋚角盥に置かれています。これを伸子張りするために、女三人はまだ働かなくてはなりませんね。室内にいる[エ]老女は、この家の祖母でしょうか、監督しているのかもしれません。
家の構造 続いて、この家の様子を確認しましょう。描かれているのは②寝殿になりますが、高級貴族邸のとはやや違っていますね。
先に方位を確認しますと、画面左方向には、この家の正門が描かれていますので、左右方向が東西方向となります。また、画面左上に③柴垣が見え、その奥は菜園にでもなっていると思われますので、画面上が北と考えておきます。洗張りは、寝殿の南側でされていることになります。
寝殿には、高欄のない④簀子が廻らされています。先の[エ]老女がいた所は⑤下長押分高くなった⑥南廂です。老女は、高級な寝殿造の寝殿にはない⑦遣戸を開けて庭先を見ています。遣戸の右側は、多分⑧板壁で、上部に⑨半蔀があります。老女の左側は二間分あり、共に⑩格子の上部が上げられて、西端には⑪半間の簾が下ろされています。中にいる[オ]女性の㋛髪が透けて見えますね。室内には⑫畳が敷かれ、奥の母屋との境と、老女のいる部屋とのあいだには、⑬障子(襖)があります。
庭先から南簀子にかけて⑭羅文の付いた⑮立蔀が置かれています。簀子のところは、通行できるように扉になっていると思われます。
南西の角は、吹き放しになっています。南廂側から⑯妻戸が開かれていて、⑰簾越しに先の[オ]女性が外を見ています。北側には植物が描かれた⑱板戸が嵌められています。
この板戸の北側にかけてが⑲西廂です。⑳板敷に㉑畳が敷かれて人のいる二間分の北側には㉒障子があります。ここに見える下げられた三重丸は、㉓弓矢の的になりますが、後で触れます。この二間分は吹抜屋台の技法で格子が省略されています。この奥の部屋は㉔遣戸になっています。
屋根は㉕板葺の㉖切妻で、西廂の上部に㉗廂屋根が張り出しています。
この家には、正門を入った北側にある侍廊や、正面にある中門・中門廊が見えません。簡素な造りになっています。これが中、下級貴族の家になると思われます。
闘鶏 次に、闘鶏を確認しましょう。世界各地に見られる雄鶏を闘わせる競技で、日本には奈良時代に中国から伝えられました。平安時代には鶏合(とりあわせ)として親しまれ、天皇が内裏で見た記録も残っていて、三月三日の宮廷行事にもなっています。平安時代末にもなりますと、庶民のあいだにも娯楽として広まりました。この場面も、そのような時代の雰囲気を伝えています。なお、闘鶏の場面自体は、本シリーズ第13~15回に掲載していますので参照してください。
この画面では、庭の中央で㋜二羽が闘っています。その右側には足を㉘縁束につながる紐で結ばれた㋝雌鶏が見えます。雄鶏は、この雌をめぐって闘うように仕向けられているのでしょう。㋞雌鶏はもう一羽、画面中央下にも描かれ、㋟雄鶏が近寄っています。雄鶏にその気にさせてから闘わせるのかもしれません。
参加者と見物人 闘鶏は何番も行われますので、雄鶏を抱えて待機している人や見物人がたくさんいます。この家の知人や近くの庶民たちでしょう。闘鶏を楽しみにしている様子がうかがわれます。人々は指さしたり、固唾を飲んだりして見つめています。闘う雄鶏の手前で蹲踞しているのは、[カ]審判役かもしれません。
これだけの老若男女が集まりますので、ちょっとした事件も起きるようです。その一コマを想像してみましょう。抱かれているのを嫌って逃げ出したのか、㋠雄鶏が簀子に上がってしまっています。それに怯えたのか[キ]女性に抱かれていた[ク]赤子が、いやいやをして怖がっています。この女性は乳母でしょうか、困惑した表情になっています。その様子を⑰簾の奥にいる[オ]女性が心配そうに見つめています。赤子の母親、この家の妻かもしれません。一方、その庭先では、[ケ]童が[コ]男を指さしています。この人の鶏だよと教えているのかもしれません。指さしされた男は、乳母らしい[キ]女性に謝っているのでしょう。私にはこんな光景として思い浮かびますが、皆さんはどうでしょうか。『年中行事絵巻』を見る楽しさは、こんな想像をめぐらすことができるところにあるのでしたね。
家族たち 寝殿の④簀子や⑲西廂で見物しているのは、この家の家族です。西廂で髭を生やし、手に㋡数珠を持つのがこの家の[サ]主人と思われます。その両側に坐るのは[シ][ス]子息でしょう。簀子に坐る[ス]子息には、㋢腰刀と手にした㋣扇が見えます。その手前にあるのは、㋤土製の牛の置物と考えられています。鼻に㋥紐が通されていますね。
この[ス]子息の後ろで㋦懸け守りをしているのは[セ]娘で、後ろの童も[ソ]子息でしょう。
さらにその後ろに坐る二人は、[タ]親類でしょうか。簀子に上がった㋠雄鶏の向こうにいる二人は、この家の[チ]家司でしょうか。一族郎党が闘鶏を楽しんでいるのです。
頭屋の家 この家には、一族郎党の他に多くの人が集まっています。単に闘鶏のためだけではないようです。それは、先に示しました㉓的が関係しています。これは、弓矢を的に射当てて邪気を祓う奉射(ぶしゃ)という正月の神事で使用されたものです。氏神を祀る神社の行事などは、輪番で回ってくる住民の代表が取り仕切りました。その代表者やその家を頭屋(とうや)と呼び、的は、その印だったのです。頭屋で行われた闘鶏なので、人々が集まったとも言えるのです。なお、地方では、この的を屋根の破風に飾ることが多く、その様子は『信貴山縁起』や『粉河寺縁起』などに描かれています。
絵巻の意義 この場面は、下級貴族の生活と娯楽が描かれました。娯楽としての闘鶏は『年中行事絵巻』で他にも描かれています。しかし、伸子張りの様子は、この場面だけです。伸子張りは、年配のかたなら、染物屋の庭先で実際に見たことのある光景ですね。かつては町に染物屋があり、現在でも少なくなりましたが伸子張りは行われています。それと同じ光景が絵巻に描かれているのです。もっとも古い伸子張りの絵画史料として、この場面は極めて貴重であったと言えましょう。また、京内の頭屋が描かれたことにも意義が認められるのです。