絵巻で見る 平安時代の暮らし

第73回『融通念仏縁起』下巻「牛飼童の妻の出産」を読み解く

筆者:
2019年5月15日

場面:牛飼童(うしかいわらわ)の妻が出産するところ
場所:京の牛飼童の家と近所
時節:未詳

人物:[ア]融通念仏宗の僧侶 [イ]妊婦 [ウ]産婆  [エ]介添え役 [オ]小女 [カ]隣家の女性 [キ]老女 [ク]水を汲む女性 [ケ]踏み洗いす女性 [コ]牛飼童 [サ]源覚僧都か [シ]被(かず)き姿の巫女か [ス]騎乗する女性 [セ]下仕の僧か [ソ]警護の者 [タ]水干姿の男

建物など:①棟割長屋 ②板屋根 ③重しの石 ④薪 ⑤牛飼童の家 ⑥網代壁 ⑦土間 ⑧板敷 ⑨・⑩畳 ⑪妻戸 ⑫板壁 ⑬衣桁(いこう) ⑭網代戸 ⑮簾 ⑯土壁 ⑰木舞(こまい) ⑱羽目板 ⑲井桁の井戸 ⑳洗濯石 ㉑排水路

衣装・持ち物など:㋐綱 ㋑牛 ㋒・㋢・㋥曲物桶 ㋓袈裟 ㋔首巻 ㋕名帳(みょうちょう) ㋖筆 ㋗打敷(うちしき) ㋘硯 ㋙墨 ㋚素足 ㋛産綱(さんつな) ㋜白衣 ㋝頭巾 ㋞・㋫杖 ㋟的(まと) ㋠犬 ㋡釣瓶縄(つるべなわ) ㋣鉢巻 ㋤襷(たすき)掛け ㋦柄杓 ㋧衣類 ㋨高足駄(たかあしだ) ㋩鹿杖(かせづえ) ㋪編笠 ㋬数珠 ㋭・㋰市女傘 ㋮手綱 ㋯袋 ㋱折烏帽子 ㋲水干姿 ㋳尻鞘(しりざや) ㋴弓

はじめに 前回は、洗張り(伸子張り)の場面を採り上げましたので、今回は庶民の洗濯と共に、出産の様子が描かれている『融通念仏縁起』(ゆうずうねんぶつえんぎ。鎌倉時代末の14世紀前半の成立)の場面を見ることにします。庶民の洗濯については、第61回の『信貴山縁起』(平安時代末の12世紀後半の成立)でも扱いましたので参照してみてください。この二つの絵巻の成立には、150年ほどの開きがありますが、変わらない庶民の生活がうかがえることと思います。

『融通念仏縁起』 最初に『融通念仏縁起』について触れておきます。念仏はすべての者に融通し合って功徳をなし、念仏者名帳に記帳した者全員の往生がかなうと説く融通念仏宗を開いた良忍(りょうにん。1073?~1132)の伝記と功徳を描いています。名帳は、この場面でも描かれていますので、覚えておいてください。

牛飼童とは 次に牛飼童を確認します。牛車を扱い、牛の世話をする小者を言います。童とされますが、大人になっても、この呼称で呼ばれました。童は冠物(かぶりもの)をしませんので、牛飼童は成人しても烏帽子などをかぶらず、頭髪は元結で結わえて垂髪にしたままでした。絵巻などで冠物のない大人は、まず牛飼童と見て間違いありません。

牛飼童も成人すれば結婚をしますので家に妻がいました。家は、主人の家近くの町屋にあり、牛も飼育しました。こうしたことは、この絵巻で分かります。具体的に見ていく前に、この場面にある詞書を読んでおきましょう。絵の主題がはっきりします。

詞書 詞書は短く、次のようにあります。

木寺の源覚僧都の牛飼童の妻女、難産によりて死すべかりしが、この念仏衆に入りて、命を延べけり。これを聞きて念仏に入る人、二百七十二人なり。

【訳】 木寺の源覚僧都の牛飼童の妻が、難産のために死にそうになったが、この融通念仏衆に入って、命が延びたのであった。この功徳を聞いて念仏衆に入った人は、二百七十二人であった。

木寺は、仁和寺の子院の一つで、ここに住む源覚僧都(1079~1136)は、「木寺の僧都」と呼ばれていました。命が危なかった牛飼童の妻が、融通念仏衆に入ったということは、名帳に名前が記帳されたことを意味します。その功徳によって延命できたのでした。これを聞いて、二百七十二人が記帳して融通念仏衆に入ったとされています。

牛飼童の家 それでは、①棟割長屋の一画を占める牛飼童の家を見ていきましょう。②板屋根には③重しの石が置かれ、乾燥させるために④薪が上げられています。

⑤牛飼童の家は画面右、⑥網代壁の左側になります。ここだけ外から丸見えに描かれているのは、吹抜屋台の技法によっているからです。牛飼童の家であることは、⑦土間にいる、㋐綱でつながれた㋑牛が、㋒曲物桶の飼葉を食べていることで分かりますね。牛車の牛は、牛飼童の家に置かれた証拠となる絵になります。

⑧板敷の間(ま)の右側に置かれた⑨畳には、㋓袈裟を着け、㋔首巻した[ア]僧侶が坐っています。手にしているのが、巻紙の㋕名帳になります。牛飼童の妻の名前を㋖筆で記帳しているのでしょう。これで融通念仏宗の僧侶だとわかります。名帳の下に見えるのは、㋗打敷に置いた㋘硯と㋙墨です。この僧侶が持参していたものと思われます。名帳を描くことで妻が入信したことも示しているのです。

女性三人が坐る左側の⑩畳の上が出産するところですので、さらに見ていきましょう。なお、この奥には⑪妻戸が見えますので、さらに部屋があることになります。

出産 当時の出産は座産でした。㋚素足を出しているのが[イ]妊婦です。奥にいて妊婦の頭を右手で抱えているのは[ウ]産婆です。産婆は妊婦を支えるために天井から下げられた㋛産綱に左手ですがっています。妊婦もこの産綱をつかんでいるようです。これはまさに難産の様子になります。出産では命をおとすことが多くありました。出産は命がけだったのです。しかし、この絵巻では記帳の功徳によって、無事であったことになります。

妊婦の後ろにいるのは[エ]介添え役で、励ましながら抱いています。隅の⑫板壁の前で正座しているのは、この家の[オ]小女でしょう。祈るように手を合わせています。

板壁には、⑬竿を吊るした衣桁に㋜白衣が掛けられています。当時の産室は畳の縁や几帳などを白にするのが普通でした。また、妊婦なども白衣を着ました。しかし、この場にいる女性四人は、いずれも白衣ではありません。牛飼童の家では、衣桁の白衣で、産室の清浄さを意図しているのかもしれません。

 

心配する隣人 難産の気配は、おのずと隣家にも伝わるのでしょう。⑭網代戸を開け、⑮簾をかいくぐって[カ]女性が心配そうに様子をうかがっています。また、その前の道には、㋝頭巾をかぶり、㋞杖をついた[キ]老女が牛飼童の家に視線を送っています。旅姿ではありませんので、近所の住人で、やはり様子を見に来たのかもしれません。

老婆の後ろは⑯土壁で、左下には下地の⑰木舞が見えています。壁には㋟円形の物が下げられています。丸窓とする説がありますが、これは前回見ました『年中行事絵巻』の闘鶏をする家に下げられていたのと同じ㋟的と思われます。円は描かれていませんが、魔除けにしているのでしょう。

隣家の⑱羽目板の前には、㋠犬が寝そべっています。何で犬がわざわざ描かれたのでしょうか。これは、犬が安産の守り神であったからだと思われます。的や犬、無駄に描かれているわけではないようですね。

井戸端での洗濯 そうしますと、井戸や洗濯する様子が描かれているのも、出産とかかわるのかもしれません。⑲井桁の井戸から㋡釣瓶縄を引いて、㋢曲物桶に水を汲もうとする[ク]女性を見てください。㋣鉢巻に㋤襷掛けをしています。意気込んで水を汲んでいますね。きっと産湯にする水を急いで汲んでいるのでしょう。

平らな⑳洗濯石の上では、㋥曲物桶から㋦柄杓で水を汲み、㋧衣類にかけながら[ケ]踏み洗いしている女性もいます。この衣類は妊婦が着ていたものかもしれません。また大きな乳房が見えるのは、新生児の乳つけを暗示しているのだと思われます。洗濯した水は㉑排水路に流されています。

牛飼童 では夫の牛飼童はどうしているのでしょうか。『融通念仏縁起』は各種作られていて、中には、室内で手を合わせて安産を願っている姿で描かれているものもあります。この絵ではどこにいるのでしょうか。

 

 

もうお分かりですね。画面中央で冠物をしていない垂髪の男が[コ]牛飼童になります。㋨高足駄をはき、手には先端が二股に分かれる㋩鹿杖を持っています。どうやら、前を行く[サ]僧侶を案内しているようです。

この僧侶は、詞書からすると牛飼童の主人、[サ]源覚僧都かもしれません。牛飼童は妻が難産なので祈祷してもらうために来てもらっているのでしょう。僧侶は、大きな㋪編笠を背にし、㋫杖をつきながら、㋬数珠を持った左手を指さして、そちらがそなたの家かと尋ねているようです。[シ]被き姿の女性も従っていますが、巫女かもしれません。

この僧侶は、融通念仏宗ではないのでしょう。また、被き姿が巫女としたら、命の危険にさらされた難産の妻には、祈祷などが役立たなかったことになります。役にたったのは、名帳への記帳を勧めた[ア]僧侶で、功徳をもたらす融通念仏宗の優位を暗示しているのかもしれません。

通行人 通行人も描かれていますので、簡単に確認しておきましょう。㋭市女傘で[ス]騎乗している女性は、自ら㋮手綱をとっています。後ろの馬の背には、㋯袋がかけられています。

馬の後ろを行く二人は供人でしょう。一人は㋰市女傘をかぶっています。[セ]下仕する僧のようです。もう一人は㋱折烏帽子に㋲水干姿で、太刀に㋳尻鞘をし、ゆがんだ自然の木を利用した㋴弓をかついでいます。[ソ]警護の者でしょう。馬の前を歩く同じく[タ]水干姿の男は、この三人とは関係ないようです。

この三人は、下仕の僧が同行していることからすると、寺院へ参拝する途中でしょうか。仏教絵巻ですので、宗教色が表れているのかもしれません。

絵巻の意義 この場面は、名帳への記帳が功徳をもたらすことを描いています。こうした宗教性の他に、出産と、牛飼童の家が牛と共に描かれたことも貴重でした。牛車の牛がどこに飼われていたか、これまであまり注意されてきませんでした。牛は、牛飼童が自宅で飼育していたことを明確に示す史料としても、この場面の意義があるのです。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。今回、牛飼童の家とそこに飼われている牛の様子を見ましたので、次回は牛に関連して、牛車とその車庫が描かれている『奈与竹物語絵巻』の一場面を取り上げます。お楽しみに。

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