場面:帝の文使(ふみづかい)が文を届けに来たところ
場所:某(なにがし)の少将邸
時節:後嵯峨天皇の御代の五月
人物:[ア]牛飼童 [イ]文使(ふみづかい)の蔵人 [ウ]・[オ]供人 [エ]小女
建物など:①車宿 ②角柱 ③棟門(むなもん) ④門扉 ⑤門柱 ⑥唐居敷(からいしき) ⑦閾(しきみ) ⑧窪み ⑨土 ⑩板屋根 ⑪屋根押え ⑫垂木(たるき) ⑬雑草 ⑭棟木 ⑮鬼板 ⑯破風板(はふいた) ⑰懸魚(げぎょ) ⑱梁 ⑲桁 ⑳蝶番(ちょうつがい) ㉑乳金物(ちかなもの) ㉒築地 ㉓葺き板 ㉔上げ土 ㉕柳の木 ㉖板囲い ㉗・㊲御簾 ㉘・㉟妻戸 ㉙・㉞簀子 ㉚侍廊(さむらいろう) ㉛檜皮葺 ㉜棟瓦 ㉝白壁 ㊱格子の上部 ㊳障子
牛車・衣装など:㋐牛 ㋑元結 ㋒狩衣 ㋓牛車(文車。もんのくるま) ㋔轅(ながえ) ㋕飾り紐 ㋖軛(くびき) ㋗屋形 ㋘袖 ㋙唐草文様 ㋚上葺 ㋛雲形文様 ㋜袖格子 ㋝三重襷(みえだすき) ㋞物見 ㋟車輪 ㋠細纓に緌(おいかけ)の冠 ㋡闕腋(けってき)の袍 ㋢総角結びの飾り紐 ㋣前簾 ㋤・㋧文箱(ふばこ) ㋥烏帽子 ㋦白張(しらはり) ㋨表袴(うえのはかま) ㋩麻の葉文様の小袿 ㋪紐
はじめに 前回は、牛飼童の家とそこに飼われている牛の様子を見ましたので、今回は牛車とその車庫となる車宿(くるまやどり)も描かれている、鎌倉時代末成立の『奈与竹物語絵巻』の一場面を見ることにします。車宿はほんのわずかしか描かれていませんが、牛・牛飼童・牛車と共に四者が同じ場面で描かれている絵巻は、他にないようで貴重です。
『奈与竹物語絵巻』 『奈与竹物語絵巻』は説話集『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』の「後嵯峨天皇、某の少将の妻を召す事」(巻八第三三一話)の後半に基づいています。内容は、この表題にあるように、後嵯峨天皇(1220~72)が見初めた人妻との恋物語です。内裏の催しで見初める場面から始まり、妻を帝のもとに差し出した少将が中将に昇進するまでが、一巻八場面で構成され、それぞれに詞書がついています。
絵巻の場面 今回の場面は、六位の蔵人の尽力で女の家をやっと知った帝が、恋文をその蔵人に託し、届けるところになります。この場面はさらに続いていて、悩んだ女が夫の少将に相談する様子も描かれていますが、スペースの関係で省略しています。
帝の文は短く、次のように記されていました。
あだに見し夢かうつつか呉竹のおきふしわぶる恋ぞ苦しき
この暮にかならず。【訳】はかなく見た夢だったのか、それとも現実のことであったのか。あなたの面影を慕って、呉竹の節(ふし)ではありませんが、起き臥し思い悩む恋に苦しんでいます。
この暮に必ず参内を。
帝の歌は、女を見初めて恋の思いに取りつかれたことが詠まれています。そして、暮になったら必ず参内するようにと追書されています。ということは、その返事も持ち帰るように帝は蔵人に指示したことになります。この場面で文はどうされているのか、それを見て行くことになりますが、その前に牛車関係のことを確認しておきます。
牛と牛飼童 画面を右側から見て行きます。右上に㋐牛が描かれています。立派な角を持っていますので、当時高級な牛とされた黄牛(あめうし)でしょうか。飴色(あめいろ)をしていますので、こう呼ばれましたが、原典は剥落していてよくわかりません。
この牛を扱うのが[ア]牛飼童で、左側にいますね。被物(かぶりもの)をしていませんので、すぐに分かります。頭髪は㋑元結で束ねた垂髪で、㋒狩衣を着ています。
牛車 牛車は、駐車や乗降の際に牛が離されます。この㋓牛車は、㋔轅の先端の、㋕飾り紐の付いた㋖軛が地面に下ろされていますので、駐車している図になります。本来なら、榻(しじ)と呼ぶ踏台の上に軛は置かれますが、ここはそうなってはいません。
牛車には身分や男女に応じて屋形などの形状・色彩・文様に様々な種類がありました。この牛車は、屋形を檜の薄板や竹を網代に組んで彩色した網代車の一種で、色彩や文様、あるいは窓となる物見の大きさなどによって、さらに種類が分かれました。
この㋗屋形には、㋘袖に㋙唐草文様、㋚上葺には㋛雲形文様が見え、㋜袖格子が㋝三重襷になっていますので、文車になります。八葉車(はちようのくるま)と屋形は同じですが、八葉文(八つの丸文様)でないことで見分けられます。㋞物見にも文様があったはずですが、剥落しているのが残念です。なお、文車と牛車の各部の名称については、第50回の『年中行事絵巻』ですでに扱っていますので、ご参照ください。
車宿 続いて、邸内の車宿を見ましょう。㋟車輪の下部が四つ見えるところが①車宿です。二間分の車宿に二両置かれているわけです。私邸ではこのように大きさは二間から三間で、二両か三両が格納できたのです。車宿に車があるということは、これで主人などの在宅を表現しているのかもしれません。
車宿にも様々な形状がありました。三方が壁で前面に扉を付けたもの、妻面だけを壁にしたもの、屋根だけを構えたものなどがありました。この家では②角柱が見えるだけですので、屋根だけの簡素な車宿と思われます。
絵巻の視点 ここで、この場面はどの方角からの視点で描かれているのかを考えておきましょう。ポイントは門と車宿の位置関係です。車宿は東西どちらかの正門を入った南側に建てるのが普通でした。ここは、③棟門を入った右側に位置していますね。そうしますと、この場面は北側から見ていることになります。そして、正門の左側が敷地ですので、西側が描かれているわけです。敷地の西側を北西方向から描くという構図になっているのです。
棟門の閾 この場面には、さらに牛車とかかわることが描かれています。それは何でしょうか。④門扉の開かれた棟門を見てください。⑤門柱を固定させる⑥唐居敷の間に渡された、⑦閾に二カ所の⑧窪みがあり前後に⑨土が盛られています。もうお分かりですね。第60回『信貴山縁起』の「長者の家」で見ましたように、この窪みは牛車を通りやすくするためでした。この場面、牛車にかかわる当時の風俗が、よく分かります。
棟門と築地 ついでに③棟門などを見ておきましょう。⑩板屋根には⑪屋根押えがあり、⑫垂木の間からは⑬雑草が生え出ています。⑭棟木の両端には⑮鬼板がはめられ、妻面の⑯破風板には⑰懸魚が下げられ、⑱梁からは⑲桁が出されています。⑳蝶番でとめられた④門扉には㉑乳金物で釘隠しされています。
門の両側は㉒築地です。㉓葺き板に㉔上げ土されていますが、一部は崩れてしまっていますので、㉕柳の木との間に㉖板囲いされています。門の垂木の間に生えた雑草、築地の崩れ、どうもあまり豊かではないようですね。
文使の蔵人 帝の文のことに戻りましょう。乗車しているのが、帝の[イ]文使となる蔵人です。㋠細纓に緌の冠に、㋡闕腋の袍を着ていますので、武官を兼任しています。蔵人は、㋢総角結びの飾り紐の付いた㋣前簾を右手でかき分けて左手に持った㋤文箱を、㋥烏帽子に㋦白張を着た[ウ]供人に渡しています。文箱の中は帝の文が入っているのです。しっかり返事をもらって来るように指示しているのでしょう。
異時同図法 今度は、画面左側を見てください。㉗御簾の下がった㉘妻戸を開けて㉙簀子に出てきた [エ]小女に、[オ]供人から㋧文箱が渡されています。小女は㋨表袴に、㋩麻の葉文様の小袿を着ています。㋪紐の付いた文箱には、金蒔絵が施されており、高級な文箱となります。
さて、同じ画面に文箱が二カ所に描かれました。これはいったいどうしたことでしょうか。この点もすでにお分かりですね。第9回と第62回で扱いましたように、これは異時同図法と呼ぶ絵巻の制作技法でした。同一場面に同じ人物や事物を複数描くことで、時間の経過を表現しました。絵巻は右から左へと時間が経過しますので、[イ]蔵人の手にあった文箱が、今少将邸の[エ]小女に渡されたことになります。そうしますと、[ウ]・[オ]供人も同一人物かもしれませんが、顔貌は少し違って見えます。
先に触れましたように、この画面はさらに左に続いていて、そこでも妻から夫の少将に渡された文箱が描かれています。この五段全体では、三カ所に文箱を描くことで、時間の経過を示し、文箱が届けられたことを表しているのです。
なお、帝の文の内容に夫は困惑しますが、お召しを断ることもできず、妻は自分と帝とに宿縁があったのだと諭し、参内を勧めます。妻は帝の文の「この暮にかならず」とあった下に、召しに従う意になる「を」という文字だけ添えて使いに渡しました。そして、夜が更けてから参内するのです。
少将邸 最後に少将邸をもう少し見ておきましょう。先の小女が出てきた建物は、㉚侍廊のようです。㉛檜皮葺ですが、㉜棟瓦がずれ落ちています。㉝白壁も下部が剥がれており、やはりあまり豊かではないようです。
画面左上は、㉞簀子に㉟妻戸が開かれ、㊱格子の上部が上げられて㊲御簾が下ろされています。奥には吹抜屋台の技法によって草花を描いた㊳障子が見え、省略したこの左側に夫妻がいる構図となっています。絵巻は建物の配置をリアルに描かない場合がありますので、以上のことから少将邸の概要を把握するのは困難です。
絵巻の意義 この場面は、牛車に関係する事物が幾つも描かれて貴重でした。そして、何よりも帝の文使いの様子が異時同図法で描かれ、この画面ではほんの一部しか分かりませんが、吹抜屋台の技法も認められました。伝統的な絵巻の描き方を踏襲することで、王朝文化を体現する後嵯峨天皇の御代を表していると思われます。