絵巻で見る 平安時代の暮らし

第71回『年中行事絵巻』巻十六「賀茂祭の奉幣使の行列」を読み解く

筆者:
2019年3月20日

場面:賀茂祭の奉幣使(ほうべいし)が派遣されるところ
場所:平安京一条大路北の院宮(いんぐう)か
時節:四月中酉日

人物:[ア]水干姿の童 [イ]雑色(ぞうしき) [ウ]取物(とりもの) [エ]口取(くちとり)の将曹 [オ]口取の府生(ふしょう) [カ]近衛使(このえのつかい) [キ]水干姿の居飼(いかい) [ク]襖(あお)姿の舎人 [ケ]褐衣(かちえ)姿の手振(てぶり) [コ] ・ [サ] ・ [シ]童 [ス]狩衣姿の従者 [セ]供奉僧(ぐぶそう)

建物など:①板塀 ②梯子 ③樹木 ④桟敷 ⑤御簾 ⑥門

衣装・持ち物など:㋐・㋝毛靴 ㋑雨衣 ㋒行縢(むかばき) ㋓深靴 ㋔風流傘 ㋕帽額(もこう) ㋖総角(あげまき)結びの飾り紐 ㋗鳥居 ㋘神殿 ㋙埒(らち) ㋚鹿に乗る猿 ㋛猪に乗る兎 ㋜兎 ㋞・㋤巻纓緌(けんえいえいかけ)の冠 ㋟差縄 ㋠黒馬 ㋡縫腋の位袍 ㋢垂纓(すいえい)の冠 ㋣笏 ㋥藁脛巾(わらはばき) ㋦浅沓 ㋧太刀 ㋨銀面 ㋩雲珠(うず) ㋪鞦(しりがい) ㋫杏葉(きょうよう) ㋬八子(はね) ㋭輪鐙(わあぶみ) ㋮尾袋 ㋯下駄 ㋰浅靴 ㋱烏帽子 ㋲扇 ㋳杖

はじめに 前二回で、祇園御霊会と稲荷祭を見ましたので、今回は賀茂祭を見ることにします。賀茂祭は、京都の賀茂別雷(わけいかずち)神社(上社)と賀茂御祖(みおや)神社(下社)の京都平安を祈願する例祭で、平安時代で祭と言えば、この祭を指しました。また、石清水八幡宮の南祭に対して北祭(きたまつり)とも呼ばれました。室町時代後期の応仁の乱により、二百年ほど廃絶しましたが、江戸時代になって復興し、以来、葵の葉を挿頭(かざし)として用いましたので葵祭として今日まで続いています。

斎院御禊 祭の日に先立って、午または未(ひつじ)の日に、天皇の名代として賀茂神社に奉仕する斎院(未婚の内親王または女王)の御禊(ごけい)が賀茂川で行われました。この折にも華やかな行列が仕立てられ、人々が物見に集まりました。『源氏物語』葵巻で語られた車争いは、この折のことでした。

賀茂祭 祭の日(今日では五月十五日)の中心は、朝廷から幣と走馬(はしりうま)を奉る、奉幣使一行の行列でした。これを路頭の儀といい、途中から斎院一行も合流しました。路頭の儀に先立って宮中の儀が行われ、また上社・下社では社頭の儀がありました。

行列は山城国の歩兵や騎兵を先駆として国司、内蔵寮・中宮・東宮・院の御幣と宮主(みやじ。宮中の神事を司る)、走馬、諸使、宮中の女官、斎院長官、乗輿の斎院、斎院の女官など、数百人が徒歩・騎馬・車駕などで連なる華麗なものでした。

路頭の儀 それでは路頭の儀となる行列を画面右側から見てみましょう。騎馬の舞人に続く一団です。長い行列のほんのわずかな部分ですが、それなりに祭の様子が分かります。

右端に見えるのは二人の[ア]水干姿の童で、㋐毛靴を履いています。この後ろは、[イ]雑色(雑役に従事する者)たち八人と[ウ]取物(採物)四人です。取物たちは、それぞれ㋑雨衣・㋒行縢(腰から脚にかけての覆い)・㋓深靴・㋔風流傘を持っています。こうした物も行列に華を添えました。

風流傘 この風流傘は特に行列に彩りを添えます。長柄の傘の上に様々な作り物を載せ、周縁に㋕帽額をめぐらせ、㋖総角結びの飾り紐を垂らします。傘の上の作り物は、洲浜のように一つの世界を形作っています。

この風流傘の作り物は、神社で動物たちが競馬(くらべうま)をしている様子になります。㋗鳥居と㋘神殿、その前に㋙埒(馬場の柵)が見えます。競馬の様子は原典でもはっきりしませんが、㋚鹿に乗る猿、㋛猪に乗る兎や、見物する㋜兎などが作られているようです。動物たちが人間のように振舞っているわけです。そうしますと、すぐに思い浮かぶのが『鳥獣人物戯画』ですね。『年中行事絵巻』と成立した時代がほぼ同じですので、関連性が指摘されています。

近衛使 風流傘の後ろは、近衛使一行です。㋝毛靴に㋞巻纓緌の冠をかぶった二人の[エ] [オ]口取が㋟差縄で引く㋠黒馬に騎乗するのが[カ]近衛使です。近衛府の次将がなり、㋡縫腋の位袍を着て、㋢垂纓の冠をかぶっています。口取は画面右に見えるのが近衛府の[エ]将曹(四等官)、左が[オ]府生(下級職員)になります。

 

馬の後ろは厩に勤務する[キ]水干姿の居飼と、[ク]襖姿の舎人でしょう。㋣笏持ち以下八人は[ケ]褐衣姿の手振(供人)です。㋤巻纓緌の冠に、㋥藁脛巾(脛巾は後世の脚絆)を着けています。後ろの四人は㋦浅沓で㋧太刀を佩いています。

唐鞍の馬 近衛使が乗る馬の鞍(馬具一式)は、唐鞍(からくら)と言います。㋨銀面・㋩雲珠・㋪鞦に付く㋫杏葉・㋬八子(はね)・㋭輪鐙・㋮尾袋などが特徴になります。朝儀の際に使用される正式の飾り鞍で、花やかさを演出しました。鞍には、この他に和鞍(やまとくら)・移鞍(うつしくら)・水干鞍・女鞍などがありました。

絵巻の場 さて、この場所がどこになるのかの明解がありません。近衛の出立所・賀茂社に参着した所・一条大路に面した院宮内に設けられた見物のための祭礼広場などの説があります。どこの場所になるか、考えておきましょう。

まず言えることは、京の大路や小路ではないことです。画面下側中央を見てください。①板塀に②梯子をかけて登った[コ]童が行列を見ていますね。内側の③樹木に登っている[サ]童もいます。右の方にも、よじ登ってきた[シ]童がいます。ということは、板塀の向こう側が敷地の内部になり、手前は通りになります。行列は敷地内にいるのです。

この画面のカットした両側には棟門(むなもん)が描かれていて、門扉は行列側に開かれています。門扉は内側に開きますので、これも行列が敷地内にあることを示しています。画面左方向の門から行列が敷地内に入り、右方向の門から出ています。そうしますと、ここは出立所や神社に参着した所ではないことになります。

当時の見物場所は、一条大路と決まっていました。ですから、ここは一条大路北側の敷地と見ていいようです。内部には画面右上から続く④桟敷が都合十七間分もあり、かなり広い敷地になっていますので、院宮とみていいのかもしれません。しかし、特定は今のところできておりません。なお、この桟敷には⑤御簾が下ろされていますので、中で女性が見ていることになりましょう。

 

敷地内の見物人 画面上部には⑥門から出てきた[ス]狩衣姿の人々が居並んでいます。この門の左側は壁になるのか、桟敷が描かれなかったのかよく分かりません。人々は、整然とした感じがしますが、どうでしょうか。それは画面右方向に設けられた桟敷で見物する人たちの従者だからかもしれません。

転がった履物や被物 今度は画面左下を見てください。地面には、㋯下駄や㋰浅靴などの履物、被物(かぶりもの)の㋱烏帽子、それに㋲扇が転がっています。いったいこれはどうしたことでしょうか。これは、敷地内に入り込んでいた見物人たちが、㋳杖を持った[セ]供奉僧(神社に奉仕する僧)に追い立てられ、落としていった物になります。人々がどんなに行列を見たく思っていたかを表現していることになりますね。

絵巻の意義 長い行列のほんのわずかな部分を見てみました。祇園御霊会や稲荷祭は神輿の遷幸が見物でしたが、賀茂祭は奉幣使一行の行列が見物でした。長い行列になりましたので、今日と同じように、さぞかし見物であったことでしょう。そうした一端が絵巻に描かれていたのでした。前二回と同じく、今日に続く祭の原型に近い様子が描かれているところに、この絵巻の意義がありますね。

 

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、同じ『年中行事絵巻』から、「伸子張り」とも言われる「洗張り」と、闘鶏の様子を取り上げます。下級貴族の生活と娯楽を描いたシーンです。お楽しみに。

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