前回と前々回で見たように,一連の成功について語るとき,語り手の頭のなかには「シンデレラストーリー」と「汗と涙の物語」というふたつの話型がありました。そして,そのどちらの話型を選ぶかによって,語り方,与える印象,そして聞き手と協同で行う評価,そのすべてが劇的に変わりました。
これまで話型といえば,民俗学で民話の分類に言及されるのがもっぱらで,スタイルや相互行為にもたらす影響については,指摘されることがなかったと思います。しかし,(74) と (76) の分析から明らかになったように,日常の体験談においても話型は重要な役割を果たしています。
では,なぜ私たちは話型に従い,ステレオタイプ的に語るのでしょうか。話型を利用して経験を伝えることにどのような利点があるのでしょうか。
この問に答えるには,まず,日ごろ私たちが語りによって何を成し遂げているのか確認しておく必要があります。たとえば,「聞いて聞いて,ひどい目にあったのよ」と友人に言われて「どうしたの」と受けたら,当然,不幸な友人の話を聞くことになります。そこで私たちに求められている反応とはどのようなものでしょうか。
「なるほど」と報告を理解したと受けるだけなら,それはひどく冷たい反応です。「それは本当に大変だったね」と同情しないことには話が収まりません。
体験談は出来事の単なる報告ではありません。語り手が繰り広げる出来事を聞き手が追体験し,その出来事に対する評価を語り手と聞き手と共有し合うことが重要です。つまり,同じ体験をしたら同じように感じる,同じ世界観を共有している,そのことを確かめ合うことが体験談の眼目なのです。
ならば,どのような評価を下すのかあらかじめ聞き手に予想がつけば,スムーズにことを運べるはずです。先ほどの「聞いて聞いて,ひどい目にあったのよ」は,後に続く語りの「要約」(abstract)になっています(「要約」など語りの構造については,拙著『語りのレトリック』(海鳴社)の第3章を参照ください)。これには,前もって評価の基調を示すことで聞き手の反応を方向付けるはたらきがあります。
サクセスストーリーを語る際の話型も同様の機能を担っています。ことに,サクセスストーリーは自分の成功について語るだけに,自慢をしていると受け取られる可能性もあります。そうなると気まずい雰囲気になりかねません。ですが,話型をうまく利用すれば,話をどのように収めるのか予想がつきやすい。しかも,どの話型を用いるかが語り方のスタイルにまで連動するので,どのような評価や反応が期待されているのかを,語り手の話しぶりからも聞き手は予想できるわけです。
つまり,話型を利用してステレオタイプ的に語ることは,単に語り手に省エネルギーの展開を許すだけでなく,評価同調のための装置としても機能するのです。語り手と聞き手が共同で語りを構築するのに,話型が役立っている。このことはもう少し強調されてもいいと思います。
実際,一定の話型が繰り返され,聞き手(観客)に対し説得力をもつ強い物語が育まれていく過程は,体験談のみならず映画などの大衆的なフィクションの語りにおいても見られます。たとえば,エイリアンが登場する物語の構成(第47-48回)や「白い救世主」の物語(第52回)については,すでに『アバター』の分析を行うなかで確認しました。(もう少し言えば,話型やモチーフが繰り返される過程を経て一定の共同体に強いアピールを持つまでに昇華されたものが,神話や民話として残るではないかと思います。)
もっとも,ステレオタイプ的に語るということは陳腐化することでもあります。個人のオリジナリティがそのことによって否定されるとしたら,話型を用いることに歯止めがかかってもよいかもしれません。
しかし,実際はそのようにはなっていません。話型は話の展開に制約を設けますが,この種の制約は独創性に対する障害とはならないようです。一定の型があるからこそ,それに合わせて語りの糸を巧みに紡いでゆける。一定の型があるからこそ,その制約が想像力を生む。オリジナリティの発露は,しばしば一定の型のなかで行われます。
(74) の例で言えば,他力本願型のシンデレラストーリーとして語られたはずのお話のなかに,それとは異質の汗と涙の要素がさりげなく挿入されているところが,語り手のユニークさを物語っています。また,(74) のシンデレラ風の語りを (76) の汗と涙の語りに素早く切り替えてしまえるところに,この語り手の個性を見出せるのではないでしょうか。
サクセスストーリーに関する考察はこれでおしまいです。次回からは,小説を取り上げようと思います。志賀直哉の短編「城の崎にて」です。再来週までにご一読されると,話がより分かりやすくなるかと。
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この回は「汗と涙のシンデレラ―サクセス・ストーリーの語り方」(『言語』37:1, 66-71. 2008.)の内容に加筆修正を加えたものです。