前回,対比させたまじめな婉曲法と笑いの婉曲法の関係は,人にものを頼むときのストラテジーになぞらえると,より分りやすいかと思います。
人にものを頼みたいとき,たとえば,車で送ってほしいとき,どういうふうに頼みますか。「送って」とずばり頼んでももちろんいいのですが,相手を慮ってもう少し丁寧にやろうとするかもしれません。ブラウンとレヴィンソンによると,それには3つの方法があるようです(P. ブラウン・S. レヴィンソン『ポライトネス:言語使用における,ある普遍現象』)。
(108) a. バス,ちょうど行ってしまったみたい。あー,どうしよう。遅れてしまう。 b. あの,ごめんなさい。とっても申し訳ないんだけど,ちょっと送ってもらえるとうれしいんだけど? c. ねえ,××さーん,送ってくれるン?♡ お・ね・が・い♡
(108a) は,それとなく非公然に (off record) お願いする方法です。困っていることを伝えるだけで,はっきりと頼むことを控えています。人にものを頼む際のもっとも差し障りのないやり方と言えるでしょう。聞き手が気を利かして「じゃあ,送ろうか」と申し出てくれるといいのですが,そのままスルーされてしまうかもしれません。
(108b) は,消極的な丁寧さ (negative politeness) にもとづくやり方です。相手と距離を取りつつ,相手の邪魔になることをわびつつ,お願いしています。「ちょっと送ってもらえると」の「ちょっと」は相手にかかる迷惑をできるだけ少な目に見積もっています。そうすることで依頼にかかわる押し付け具合をことばのうえで弱めるわけです。
そして,(108c) は,積極的な丁寧さ (positive politeness) にもとづくストラテジーを体現しています。相手の懐に入り込んで,関係の近さを前に出しながらお願いするわけです。
日本語的な発想から言うと,丁寧とは敬して遠ざけることのみを考えてしまいそうですが,親密さを前面に出して交渉することも相手を慮ったやり方だと言えるでしょう。慇懃無礼ということばがありますが,これは必要以上に相手を敬して遠ざけたためにかえって失礼になってしまうことを表しますよね。他人行儀にならずにやり取りすることも,丁寧さのひとつのパタンなのです。
このように,時と場合と相手に応じて,私たちは交渉のストラテジーを変えて頼み事をしています。これまでに取り上げたまじめの婉曲法と笑いの婉曲法の違いは,この交渉ストラテジーの違いに対応するように思います。
笑いの婉曲法は,(108c) の積極的な丁寧さにもとづくやり方です。仲間意識に訴えつつ冗談めかして,互いの対面を傷つけないようにする方法です。他方,まじめな婉曲法は,(108a) に対応します。タブーに触れないための非公然のやり方です。それとなく,目立つことなく,距離を置きながら互いの対面を慮ります。
タブーに言及するのは危険を伴う行為です。うまくやらないと気まずい思いをすることになります。互いの対面を傷つけないように婉曲する方法として,まじめな婉曲法と笑いの婉曲法は存在します。特にまじめな婉曲法は,慣習的に確立されています。どのような語彙を使うのか,あらかじめ定まった安定したパタンがあるわけです。
では,(108b) に対応する,つまり消極的な丁寧さにもとづく婉曲法はあるのでしょうか。おそらく,「汚い話でごめんなさい」とか「すごく聞きにくいことなんですが」と一言断ってからタブーの話題を切り出すのは,(108b) のやり方に当たるんじゃないかと思います。
婉曲表現と言うと,慣習的な言い回しのみを問題にすることがほとんどで,まじめな婉曲法のみを取り上げるのが常でした。しかし少し視野を広げて,話し手が実際のディスコースにおいてどのような方法でタブーにまつわる体面の危機を乗りこえるのか考えると,婉曲法の枠組みは,従来言及されていたまじめな婉曲法にとどまらず,笑いの婉曲法を含むいくつかのストラテジーから構成されることが理解できるかと思います。
次回は,笑いの婉曲法を戦略的に使っている雑誌についてお話しします。