シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―

第三十五回:春の仔トナカイとアフカ

筆者:
2020年5月8日

川べりを歩くヒグマの足跡(2018年8月スィニャ川にて筆者撮影)

5月はトナカイの出産の時期です。雌トナカイはそれぞれが勝手に森の中で出産します。一回の出産で1頭が産まれ、仔トナカイは母トナカイの後を常にくっついて駆け、ミルクを飲みます。

また、春はヒグマが活動し始める時期でもあります。お腹を空かせたヒグマはミルクをたっぷり飲んだ仔トナカイの腸をたいへん好みます。ヒグマは仔トナカイを狙って腸だけ食べて、残りを捨てて放置することさえあります。牧夫たちは銃を持ち、仔トナカイがヒグマに襲われないように四六時中、交代で見張ります。森が深く、茂っている場所だとヒグマが見えず、仔トナカイを守りにくいので、牧夫たちは群れを見通しの良い比較的開けた場所に連れて行きます。

仔トナカイは好奇心旺盛で、まだ自分と人間の区別がついていないようなところもあり、興味津々な顔をして人間に駆け寄ってくることがあります。つい、撫でたり抱き上げたりしたくなりますが、人の匂いが付くと母親が仔を捨てることがあるので、うかつに近寄ってはいけません。

小さく美しい仔トナカイはたいへん愛らしく、牧夫たちも季節の中で春の出産の頃が一番好きだと言います。しかし、そんな仔トナカイも常にみんな元気に産まれるわけではありません。稀に生まれつきひ弱で、速く走れず、群れについて行くことができない個体も出てきます。そうした個体は、しばらく人間と一緒にあたたかい天幕の中で暮らし、人間が世話をします。かれらはその他の家畜トナカイと区別され、「アフカ」と呼ばれます。アフカは元気に育ったとしても、人間と一緒にいることの方に馴れて、群れに戻らず天幕のまわりでずっと過ごすこともあります。

 

木のコケをアフカに与える子供たち(2016年3月)

アフカの世話は主に子供たちが行います。アフカのために木に付くコケを枝ごと採集し、地面において給餌します。アフカには明確な所有者がいますが、牧夫の子どもたちみんなで楽しんで世話をします。

このようにアフカは人間に懐き、また人間もアフカをとてもかわいがります。けれども、所有者が決めれば、アフカを屠畜してその肉や毛皮を利用します。また、雌のアフカが仔を出産した場合も、ゆくゆくはその仔を屠畜します。このときは、子どもたちも大人も、他のトナカイの屠畜のときとは異なる感情がわくようです。筆者は直接それを見ていませんが、あるトナカイ牧夫の妻に、アフカの仔を屠畜したときのことをうかがうことがありました。彼女曰く、自分の仔を屠畜され、肉と毛皮になったことをにおいで知ったアフカは、天幕の周囲をずっと鳴きながら回ってなかなか離れませんでした。そしてアフカの目からは涙が流れていたように見えたそうです。当時彼女には2歳の娘がいたため、それを見て自分がそのようになったらと想像し、心苦しくなり自分も泣いてしまったと話してくれました。そして、彼女はアフカの仔の毛皮で子供用の衣服を作りましたが、それから十数年たった今でも、その衣服を見るとそのときのことが思い出されるそうです。

パンを食べるアフカ(2016年3月)

このように、仔トナカイが産まれる春は、牧夫やその家族にとってたいへん喜ばしい時期です。産まれた仔もいずれ屠畜することになります。かれらはそのときどきに家畜に対して複雑な感情を持ちつつも、その肉や毛皮、動力を与えてくれることを含めて、トナカイたちが好きで、それらに感謝し大事に育てているようです。

ひとことハンティ語

単語:Мӑнԯән амуй ӑнта?
読み方:マンセン アムイ アンター?
意味:行きますか、それとも、行きませんか。
使い方:出かけるのかどうか、相手に聞くときに使います。

筆者プロフィール

大石 侑香 ( おおいし・ゆか)

国立民族学博物館・特任助教。 博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

編集部から

自分の仔トナカイが肉と毛皮になったことを、においで知ったときの母トナカイの悲しみに胸が締め付けられる思いがしました。トナカイ牧夫とその家族は、このような経験を幼いころから重ねて自然の摂理と共に生きているのでしょうね。話をしてくれたトナカイ牧夫の奥さんが、その時の仔トナカイの毛皮で作った服を今でも大切に保管しているということに、心が温かくなりました。次回の更新は6月12日を予定しています。