シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―

第三十六回:トナカイ牧夫の住まい

筆者:
2020年6月12日

天幕を張る作業風景1(2016年3月スィニャにて筆者撮影)

トナカイ牧夫とその家族は天幕に暮らし、トナカイとともに季節移動します。それぞれの地域の地形や気候、群れの規模により様々な移動の形態があります。例えば、ウラル山脈のトナカイ飼育においては、トナカイは冬は餌となるコケの多い平地に暮らし、夏は涼しい山の上に暮らすといったように、夏と冬とで過ごす場所が異なります。その場合、春と秋に山頂と低地の間の200キロメートルを短期間で大移動します。このときは、男たちが先にトナカイの群れだけを移動させるので、女性と子供と橇(そり)を引かせるためのトナカイだけで天幕を移動させます。数日おきに数十キロメートル移動するため、その都度、天幕を張り、数日暮らしたら、すぐに天幕を折りたたんで橇に乗せ、また移動します。

天幕を張る作業風景2

この地域では円錐形の天幕を使用します。大きく重そうな天幕を張ったり、片づけたりする作業は大変そうに見えますが、時間自体はそうかかりません。天幕を張るのには3人いれば30分くらいで行うことができます。まず、3本のまっすぐな棒を立て掛けてしっかりと固定します。そこへ棒を20本くらい立て掛けます。そのあいだに、床部分を作ります。地面に針葉樹の枝を敷き詰め、その上に板をのせます。真ん中にはストーブを設置するためそこは地面がむき出しになるようにします。つぎに、何枚かの天幕を回しかぶせ、紐を棒に結んで固定します。これで天幕の完成です。

写真の冬用の天幕は防寒のために二重にしてあります。内側には下半分が毛を抜いたトナカイの皮で、上半分が帆布で作られたものを張ります。そこにトナカイの毛皮でできたものをかぶせてあります。雨や湿った雪が多いときには、さらに外側に丈夫な帆布を重ねます。その場その場で気象を見て、素材や重ね方を工夫します。

天幕の内部(奥では寝床をお掃除中)

天幕を張ったら、今度は生活に必要なものを入れていきます。中央には煮炊きおよび暖房用の鉄製ストーブが設置されます。天幕の天辺には穴があいており、ここからストーブの煙突を出します。入り口から入って両側にはトナカイの毛皮を敷き、その上に寝具を置きます。ここが寝床になります。地面は地衣類で厚く覆われているので柔らかく、針葉樹のクッションとトナカイ毛皮の毛並みが感じられ、なかなか良い寝心地です。そのほかに、水タンク、鍋や食器、低いテーブル、吊り下げ手洗い器、ランプ、衣類、薪、食料等が運び込まれます。移動生活をする彼らは、持ち運びできる量のものしか持ちません。

天幕の中の寝床

紹介したような天幕はすべて手作りです。大きさにもよりますが、ひとつの天幕を作るのに、50頭分くらいのトナカイの毛皮が必要です。一年でそれほどの頭数の個人所有トナカイを屠畜しませんし、一度にたくさんの毛皮を鞣(なめ)して縫うことは難しいので、数年にわたって天幕を縫う準備を行います。親戚たちと協力して天幕にする毛皮を集めたり、鞣しや縫製作業を分担したり、古くなったトナカイの毛皮の衣服や敷物を天幕の材料に作り変えしたりします。

ちょうどこの時期、5月-6月には、ウラルの人々は大移動をしている頃です。日照時間が長く一日中明るいので、彼らは夜中も移動します。日本でも日の長くなるこの時期は、彼らの天幕張りの様子や天幕をのせた橇が列になって白夜を駆け抜ける様子が鮮やかに思い出されます。

ひとことハンティ語

単語:Нопсэм ампа ӑмт рахәԯ.
読み方:ノプセム アムパ アント ラハス。
意味:私は機嫌が悪いです。
使い方:不機嫌であることを伝えるときに使います。直訳は、「私の気分は犬に合わない」。

筆者プロフィール

大石 侑香 ( おおいし・ゆか)

国立民族学博物館・特任助教。 博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

編集部から

今回は住まいとなる天幕、そして布の天幕をご紹介いただきました。天幕はすべて手作り、とありましたが、使用する棒も周辺に生えている若い木の幹を使って作るようです。

天辺の隙間から雨が入り込むのではないかと気になりましたが、大石先生にうかがったところ、「雨が降ったら、外から煙突ギリギリまで帆布を巻きます。隙間は明り取りになります。夜、真っ暗な天幕の中に横たわり、この煙突の穴から夜空を眺めるのが好きです」というお返事でした。天幕の中から見上げる夜空には無数の星が輝いているのでしょうね。7月はお休みになります。次回は8月14日更新を予定しています。