前回紹介したように、トナカイ牧畜キャンプの天幕には仕切りがないため、プライベートな空間がありません。現代日本に暮らす我々から見ると、彼らのような長期間の密な共同生活は嫌になったり、ストレスがたまったりしないのかと、疑問が浮かびます。しかし私が観察・聞き取りした限り、それほど重大なストレスもないようです。
その理由の一つは、天幕で共同生活をするメンバーの構成です。ウラル山脈東側のハンティの牧夫たちは農業企業の労働者ですが、飼育班のメンバーが全く知らない赤の他人同士の寄せ集めであることは少なくて、兄弟姉妹、従弟従妹、親子、叔父叔母・伯父伯母と甥姪、そして夫婦といった関係であることが多いです。ひとつの天幕には、同じ父系の氏族に属している者同士、つまり、同じ姓を持っている者同士が暮らします。この地域のハンティの氏族は11あり、一氏族が一集落をそれぞれつくってきました。現在でもこの氏族に帰属意識を持っており、儀礼や祖先祭祀ではそれが表れます。
2016-17年の冬にムジ村営農業企業の第五飼育班を訪ねたとき、その飼育班は、トナカイ約2000頭、牧夫6人、その妻が5人、家畜医1人で構成されていました。さらにそこに幼い子供や夏・冬休みの子供たちが加わります。妻たちは家族としてただ遊牧についてきているわけではなく、農業企業の従業員であり、炊事や天幕の建設等を行う「天幕労働者」として働いています。
この飼育班では、牧夫らは2つの天幕に分かれて居住しています。この班は、ロンゴルトとタリギンという2つの氏族を中心に構成されていました。ひとつめの天幕には、ロンゴルトの従弟兄弟とその妻たち、その妹と夫の3世帯が暮らしていました。ふたつめの天幕には、タリギンの兄弟とその妻、および別のエプリンという氏族の家畜医とクルチャモフという氏族の未婚の若い牧夫が暮らしていました。独身の牧夫や専門職である家畜医は、飼育班を変えることも度々あり、流動的です。そのためか、仕事は協力して行い、仲良く共同生活をするものの、異なる氏族の者とは心的に多少距離があるようです。例えば、何か問題があった際、個人名ではなく、氏族名を出して小言を言ったり、ののしったりするというようなことに、筆者はこれまで何度も遭遇してきました。
彼らは協働でトナカイを飼育しますが、よくよく観察すると、それぞれの夫婦で別のテーブルを使い、別の食事を用意して別の食卓で食べます。寝る場所も世帯ごとに決まっていて固定されています。ストーブと天幕以外の家財道具はそれぞれの世帯・個人が所有しています。食糧についても、たまに分け合うことはあるものの、基本的には世帯ごとに確保します。トナカイの多くは、農業企業所有のトナカイのほかに、個人所有のトナカイがいますが、たくさん持っている人もそうでない人もいます。一見すると天幕内は均質で分け隔てないように見えますが、実際にはいろいろな点で差異があり、人や空間、モノにはきちんと線引きがなされています。
独身者と家畜医はいずれかの夫婦のところで食事をするので、調査者である筆者もそれに習い、いずれかの世帯で食事を頂き、寝かせてもらい、主な聞き取りをします。素朴な方たちばかりですが、上述のように、氏族や世帯、及びその所有物にはきちんとした関係性があります。そのため、誰のところにお世話になるか、誰にお土産や持参した食糧を渡すか、判断するのにいつも苦心します。有力な氏族の方で、みんなに信頼されていて、みんなと仲の良い人のところでないと調査が上手くいかないし、居づらいからです。天幕でストレスなく共同生活を続けるには、こうした人間関係やモノの所有関係、空間の線引きを守ることが重要なようです。
ひとことハンティ語
単語:Яка, яка!
読み方:ヤカ、ヤカ!
意味:踊れ、踊れ!
使い方:儀礼などの際に、踊り手にもっと踊るよう、はやし立てるときに使います。これはスィニャ川流域の発音で、より北の方に暮らすハンティは、これをЮка, юка!(ユカ、ユカ)と言います。私の名前と同じなので、調査地ではときどき茶化されます。