タイプライターに魅せられた男たち・第112回

ジェームズ・デンスモア(5)

筆者:
2013年12月26日
1867年10月にショールズ、グリデン、ソレーが特許を出願したタイプライター(復元図)

1867年10月にショールズ、グリデン、ソレーが特許を出願したタイプライター(復元図)

1868年3月、ミルウォーキーを訪れたデンスモアが見たものは、ショールズとその仲間のグリデン(Carlos Glidden)とソレー(Samuel Willard Soulé)が作ったという奇妙な機械でした。この機械は、A~Zと2~9とハイフンとピリオドの36個のキーがあり、それぞれのキーを押すと、非鏡像活字(一般の活字と違って普通に読める)のついた棒が下から跳ね上がってきて、原稿用紙の裏側を叩くというものでした。原稿用紙の表側にはカーボン紙が取り付けられていて、そこに裏側から叩かれた原稿用紙が当たることで、原稿用紙の表面に文字が印字されるのです。キーを離すと活字棒は元の位置に戻り、原稿用紙全体が左に1文字分移動します。この機械を使って、ショールズはデンスモアに、例の風変わりな手紙を打ったのです。

1868年5月にショールズ、グリデン、ソレーが特許を出願したタイプライター

1868年5月にショールズ、グリデン、ソレーが特許を出願したタイプライター

ショールズたちは、この機械を改良した新たな機械も開発していました。新たな機械の方は、鍵盤部分をピアノに似せているように見えましたが、それは『印刷電信機』を模したものだということでした。どちらの機械も、動作原理はほぼ同じのようでしたが、新たな機械の方が完成度は高そうに見えました。ただ、デンスモアの見たところ、ショールズたちは特許に関して素人というか、かなり大甘のようでした。何せ、半年以上前(1867年10月)に出願した特許を、まだ取得できていなかったのです。デンスモアは、ショールズたちのスポンサーを引き受け、まずは、新たなピアノ型の機械の方をビジネス化することにしました。しかしそのためには、特許をちゃんと取得しなければいけない、とデンスモアは考えていました。それも、出来る限り広範囲な特許を取得しなければ、別の誰かにアイデアを盗まれてしまうのです。

デンスモアは、コリー・マシン社での特許取得と並行して、ショールズたちの機械の特許取得もおこなうことにしました。1868年5月1日、ピアノ型の機械の方の特許出願をおこない、6月23日に特許を取得しました(United States Patent No.79265)。また、半年以上前に出願したままになっていた方の特許についても、7月14日に特許成立させました(United States Patent No.79868)。これらの特許をもとに、デンスモアは、ショールズたちの作った「The American Type Writer」を売り込んでいくことにしたのです。

ジェームズ・デンスモア(6)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。とりあげる人物が女性の場合、タイトルは「タイプライターに魅せられた女たち」となります。