1868年3月、ミルウォーキーを訪れたデンスモアが見たものは、ショールズとその仲間のグリデン(Carlos Glidden)とソレー(Samuel Willard Soulé)が作ったという奇妙な機械でした。この機械は、A~Zと2~9とハイフンとピリオドの36個のキーがあり、それぞれのキーを押すと、非鏡像活字(一般の活字と違って普通に読める)のついた棒が下から跳ね上がってきて、原稿用紙の裏側を叩くというものでした。原稿用紙の表側にはカーボン紙が取り付けられていて、そこに裏側から叩かれた原稿用紙が当たることで、原稿用紙の表面に文字が印字されるのです。キーを離すと活字棒は元の位置に戻り、原稿用紙全体が左に1文字分移動します。この機械を使って、ショールズはデンスモアに、例の風変わりな手紙を打ったのです。
ショールズたちは、この機械を改良した新たな機械も開発していました。新たな機械の方は、鍵盤部分をピアノに似せているように見えましたが、それは『印刷電信機』を模したものだということでした。どちらの機械も、動作原理はほぼ同じのようでしたが、新たな機械の方が完成度は高そうに見えました。ただ、デンスモアの見たところ、ショールズたちは特許に関して素人というか、かなり大甘のようでした。何せ、半年以上前(1867年10月)に出願した特許を、まだ取得できていなかったのです。デンスモアは、ショールズたちのスポンサーを引き受け、まずは、新たなピアノ型の機械の方をビジネス化することにしました。しかしそのためには、特許をちゃんと取得しなければいけない、とデンスモアは考えていました。それも、出来る限り広範囲な特許を取得しなければ、別の誰かにアイデアを盗まれてしまうのです。
デンスモアは、コリー・マシン社での特許取得と並行して、ショールズたちの機械の特許取得もおこなうことにしました。1868年5月1日、ピアノ型の機械の方の特許出願をおこない、6月23日に特許を取得しました(United States Patent No.79265)。また、半年以上前に出願したままになっていた方の特許についても、7月14日に特許成立させました(United States Patent No.79868)。これらの特許をもとに、デンスモアは、ショールズたちの作った「The American Type Writer」を売り込んでいくことにしたのです。
(ジェームズ・デンスモア(6)に続く)