デンスモアが驚いたことに、ウェスタン・ユニオン・テレグラフ社にタイプライターを導入するにあたって、ステイガーは、ポーターを雇い入れる心算があるようでした。ウェスタン・ユニオン・テレグラフ社の電信士たちは、モールス符号の送受信に関しては超一流でも、タイプライターなど扱ったことがありません。タイプライターを導入することで、モールス受信がどれほど効率化されるか、それを各電信士に実際に目の前で見せてやらなければ、タイプライター導入は失敗に終わります。導入を成功させるためには、ポーターによる実演が不可欠だと、ステイガーは考えたようでした。
その間にも、クローとジェンヌはタイプライターの改良を進め、改良に関する特許出願書を、デンスモアに送付してきました。デンスモアとレミントンの契約にしたがい、クローとジェンヌは、デンスモアを代理人として特許を出願することにしたのです。ところがデンスモアは、この改良特許の出願を後回しにしました。デンスモアとしては、積み残しになっているショールズの特許を先に成立させ、その後で、クローとジェンヌの特許を、ショールズの特許の改良として出願するつもりだったのです。
一方、デンスモアの大きな収入源だった石油ビジネスは、先行きが危うくなってきていました。ロックフェラー(John Davison Rockefeller)率いるスタンダード・オイル社は、オハイオ州からペンシルバニア州にかけて石油利権を独占しつつあり、デンスモアの石油ビジネスも、少なからぬダメージを受けていました。これに追い打ちをかけたのが、1873年9月18日、ジェイ・クック商会の預金支払停止に端を発する大恐慌でした。デンスモアの取引先は次々に倒産していき、デンスモア自身も金策に走り回ることになります。ローデブッシュは、石油ビジネスに見切りをつけ、新たな鉱山ビジネスに挑戦すべく、弟のロレンツォをコロラド準州のデンバーへと向かわせました。けれどもデンスモアは、鉱山ビジネスに挑戦する気はありませんでした。コロラド準州の金鉱脈は、かなりの部分が掘りつくされてしまっており、新たに発見された銀鉱脈にしても新規参入のチャンスはない、とデンスモアは考えていたからです。それよりは、タイプライターの方が、まだビジネスチャンスがある、とデンスモアは考えていたのです。
しかし、大恐慌の影響は、E・レミントン&サンズ社にも及んでいました。倒産こそ免れたものの、E・レミントン&サンズ社は、タイプライターの生産を開始できる状況にはありませんでした。レミントンからタイプライター生産延期の連絡を受けたデンスモアは、アクメ・モーワー&リーパー社を何とか維持しながらも、レミントンにタイプライターの生産開始を催促し続けたのです。
(ジェームズ・デンスモア(18)に続く)