タイプライターに魅せられた男たち・第38回

オーガスト・ドボラック(4)

筆者:
2012年6月14日

1935年6月27~28日にシカゴで開催された「国際商業学校コンテスト」(International Commercial Schools Contest)に、ドボラックは、学生たちを数多く連れて行きました。「国際商業学校コンテスト」は、速記・タイピング・手動計算機・簿記などの学生コンテストでした。ドボラックは、ドボラック式配列によるタイピングコンテスト制覇を目指したのです。結果として、ドボラック式配列を操るウィリアムソン(Mary H. Williamson)が大学生初心者部門で、フェントン(Lenore Fenton)が大学生アマチュア部門と大学生オープンで、それぞれ優勝を果たしました。また、メリックの教え子であるマクドナルド(Olive MacDonald)が、高校生アマチュア部門で優勝しています。

蠟管式録音機「Dictaphone Model 10 Type A」

蠟管式録音機「Dictaphone Model 10 Type A」

これに加え、ディクタフォン(蠟管式録音機)からの文字起こし部門で、やはりフェントンが優勝を飾りました。タイプライターによる文字起こしが、コンテストの科目にあるなんて、ちょっと不思議ですね。実は、「国際商業学校コンテスト」自体が、ディクタフォン・セールズ社の後援でおこなわれていて、社長ストウェル(Leon Carl Stowell)の名を冠したストウェル・トロフィーまで授与されていたのです。ちなみにディクタフォンは、文字起こしをするタイピストが、再生スピードを変化させたり、聞き直しをおこなったりできたので、口述タイピングより公正なコンテストをおこなえる、と考えられていました。

そんな中、ドボラックは、交通事故に遭います。1935年12月28日、ドボラックは自分の車を、学生のクブシノフ(Raphael Kuvshinoff)に運転させていました。セントラリアの北5マイルの地点で、先行するトラックを追い抜こうとしたクブシノフは、対向車と正面衝突したのです。クブシノフも、同乗していたドボラックも、幸いにして軽傷で済みましたが、ドボラックは、頭に大きな傷跡が残ってしまいました。

しかし、そんなことでメゲるドボラックではありません。1936年6月25~26日にシカゴで開催された「国際商業学校コンテスト」に、また学生を大勢連れて行って、タイピングコンテストに出場させます。クブシノフは、名誉を挽回したかったのか、清書タイピングの大学生オープンで見事優勝します。タコマのリンカーン高校を卒業して、ワシントン大学に入学したマクドナルドは、清書タイピングの大学生アマチュア部門と、ディクタフォンの大学生オープンで優勝を飾り、ストウェル・トロフィーを手にしました。また、ドボラック自身も、インストラクター認定賞を受賞、ドボラック式配列で多くの優秀な学生を育てたことが、高く評価されました。

オーガスト・ドボラック(5)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。