タイプライターに魅せられた男たち・第40回

オーガスト・ドボラック(6)

筆者:
2012年6月28日

1941年6月19~20日にシカゴで開催された「国際商業学校コンテスト」の直後、ドボラックは、モーゲンセン(Allan Herbert Mogensen)という人物から、ある依頼を受けました。モーゲンセンは、毎年夏にレークプラシッドにおいて、「作業簡素化会議」(Work Simplification Conference)を6週間の会期で開催していました。その「作業簡素化会議」でドボラック式配列を紹介したい、さらには、そのための映画を制作してほしい、と、モーゲンセンはドボラックに依頼してきたのです。ドボラックは、この依頼を承諾し、1942年夏の「作業簡素化会議」に向けて、ロチェスターのチック(Robert Charles Chick)が経営する写真スタジオと共に、映画制作の準備に取りかかりました。

内容的には、ドボラック式配列と、従来のQWERTY配列とを比較することで、ドボラック式配列の利点を分かりやすい映像で伝える、というのが、この映画の狙いでした。ただし、「作業簡素化会議」の会場レーク・プラシッド・クラブの映写施設を考えると、35mmやトーキーの上映は無理なので、当然16mmサイレント方式です。でも、16mmサイレントであれば、逆に、スタジオ外でのロケ撮影は楽です。音声なしで画像だけ撮影して、後から字幕を間に挿入すればいいのですから。ドボラックは、まず、シカゴ大学に異動していたメリックを訪ね、シカゴ大学附属中学校でドボラック式配列を教えるメリックと、その生徒たちの様子をフィルムに収めました。

QWERTY配列の「Royal KMM」

QWERTY配列の「Royal KMM」

ドボラックは、次に、フェントンをロチェスターに呼び寄せました。ロチェスター在住のタイピストと、フェントンを競わせ、その様子を撮影するためです。在住のタイピストとしては、ビジネス学校のタイプライター教員エンゲルソン(Laura E. Engelson)が選ばれました。白い服を着たフェントンと、黒い服を着たエンゲルソンが、お互い差し向いに座り、フェントンにはドボラック式配列の「Royal KMM」が、エンゲルソンにはQWERTY配列の「Royal KMM」が、それぞれ準備されました。フェントンとエンゲルソンが同じ文章を打つことで、その指の動きの違いを撮影し、ドボラック式配列の利点を伝えようとしたのです。ところが、この映像は、ややインパクトの弱いものになってしまいました。確かに、指の動きはフェントンの方が小さいのですが、キャリッジを戻す左手の動きが二人とも大きく、映像としてはそちらが目立ってしまったのです。

QWERTY配列の「IBM Electromatic」

QWERTY配列の「IBM Electromatic」

そこでドボラックは、電動タイプライターを使って、同じ撮影をおこなうことにしました。電動タイプライターならば、キャリッジリターンや改行は、ボタンを押すだけでOKです。ただ、エンゲルソンが電動タイプライターに慣れていなかったのか、今度の対戦相手には、マイヤー(Charles Mayr)が選ばれました。白い服を着たフェントンと、黒い服を着たマイヤーが、お互い差し向いに座り、フェントンにはドボラック式配列の「IBM Electromatic」が、マイヤーにはQWERTY配列の「IBM Electromatic」が、それぞれ準備されました。そうして、フェントンとマイヤーが、同じ文章を打つ様子を撮影したのです。

オーガスト・ドボラック(7)に続く)

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

編集部から

近代文明の進歩に大きな影響を与えた工業製品であるタイプライター。その改良の歴史をひもとく連載です。毎週木曜日の掲載です。