連載の最終回は,主に利用者,教員の視点から,これからの英語辞書について考えてみたいと思います。
インターネット時代の辞書批評のあり方
一昔前の英語辞書は,いわゆる「英語名人」「辞書名人」と称されるような,天才的な辞書執筆者,編集者のライフワークとして編纂されていたものがほとんどでした。そのためか(専門家による研究書等での書評,分析を除けば)多くの英語学習者は辞書の内容を絶対視し,辞書の内容に疑問を唱えることをタブー視する雰囲気さえあったように思います。
しかし,最近では,ネット掲示板やブログの普及により,一般の英語学習者でも辞書の内容についての批評や,時には悪意に満ちた誹謗中傷さえも簡単にできるようになりました。辞書執筆者,編集者にとっては,利用者の意見を収集したり,誤植や誤記の指摘を受け,増刷時に修正をする機会が今まで以上に増えたことで,英語辞書の発展にも大きな影響を及ぼしていますが,一方で,一部の心ない書き込みにより,辞書の改善とは関係ないレベルでの不毛な議論が今まで以上にはびこっているのは大変残念です。
とくに,同レベルの辞書の新刊,改訂が相次いだときなどは,「○○という単語はX, Y辞書には載っているのにZ辞書には載っていない。だからZ辞書は劣っている」といった論調での,木を見て森を見ない辞書批評や,さらには「X辞書の編集主幹は○○大学の教授だから,××大学の教授が編纂しているY辞書よりも信頼できる」といったトンデモ発言が,一晩で何十件という単位で匿名掲示板に書き込まれることもあります。
辞書の内容と全く関係のない,出版社や編者の誹謗中傷や,恣意的に選別した特定の語や語義が収録されているか否かで辞書全体を評価するような風潮などは,決して好ましいことであるとは言えません。利用者である私たちは,辞書の内容を常に批判的にとらえる一方で,よりよい辞書に発展していく「種まき」としての,健全な辞書批評をしたいものです。
ことばを尊ぶ姿勢を伝える辞書指導をめざして
従来の辞書指導は,辞書の引き方や情報の読み取り方を教える,いわば技能重視の内容が中心でした。しかし,ネットの普及により,誰もが無料で膨大な情報を得られるのが当然という今の世の中では,ことばの大切さや,ことばに対する畏敬の気持ちも伝えていくことが必要なのではないでしょうか。
私を含め,辞書に携わっている研究者の中には,中学生や高校生の頃,知りたいことをいつでも的確に教えてくれる辞書を「偉い」と感じ,人一倍辞書を引く中でことばへの興味を深めていった人もたくさんいます。辞書の重さに文句を言いつつも,その重さが,ことばに対する畏敬の気持ちにつながっていたと言えます。しかし,どんなにたくさんの辞書が入っていてもポケットに収まってしまう電子辞書からは,冊子辞書のような,通常の書籍とは一線を画した「重厚さ」や「特別感」といった,辞書という書物独特の「オーラ」を感じることはできません。英語以前に,「ウザい」「キモい」に代表される,人を傷つける日本語が氾濫していることも,辞書メディアの変化と少なからず関係があるというのは言い過ぎでしょうか。
「ハレ」の日の賞品に冊子辞書を
こんな時代だからこそ,(時代錯誤だとお叱りを受けるかもしれませんが)皆勤や成績優秀者への副賞や卒業記念品として,生徒,学生に冊子辞書を贈呈してみてはいかがでしょうか。
私のクラスでは,週2回の講義に1年間無遅刻無欠席で皆勤した学生全員に,『ウィズダム英和辞典』を進呈しています。最初は,「電子辞書を持っているのに冊子辞書なんて…」と言っていた学生も,冊子辞書の良さに気づくと「覚えた単語にアンダーラインが引けるし,カバンに押し込んでも壊れないし,一生の記念になる紙の辞書もいいものですね」などと好意的な評価を寄せるようになります。今までの努力をねぎらい,よりいっそうの勉学を期待する象徴として,膨大な情報が目で見え,身体で感じることのできる形になって凝縮された冊子辞書は,ことばの大切さを伝える上でも最適なものと言ってよいでしょう。
おわりに
連載の最初にもお話ししましたが,英語学習が「辞書に始まり,辞書に終わる」ことは,昔も今も変わりません。技能としての英語運用力を養うことに加え,ことばを尊び,ことばを使う人間を尊ぶことをめざした指導が,これからの英語教育現場では望まれています。折しも,相撲界が大麻騒動で揺れる中,「心技体」のバランスのとれた能力を身につけさせることは,相撲の稽古だけでなく,英語教育においても同様に求められているのではないか,ということを強く感じます。
半年間という限られた期間の連載ですので,舌足らずな点も多かったかと思いますが,本連載が,諸先生方の英語教育現場での辞書指導に何かのご参考になりますことを祈念しております。なお,本連載で詳しく扱うことができなかった,辞書の情報の詳しい読み取り方などについては,拙著『辞書からはじめる英語学習』(2007年,小学館)もあわせてごらんいただければ幸いです。