場面:夕霧が病床の柏木を見舞ったところ
場所:内大臣二条邸の対の屋
時節:光源氏48歳の春
人物:[ア]立烏帽子袿姿の権大納言兼右衛門督柏木(内大臣の長男)、32~33歳 [イ]冠直衣姿の大納言兼左大将夕霧(光源氏の長男)、27歳 [ウ][エ][オ][キ]裳だけを着けた侍女 [カ]裳も着けない侍女
室内:①下長押 ②柱 ③母屋 ④南廂 ⑤東廂 ⑥西廂 ⑦・⑫高麗縁の畳 ⑧釘隠 ⑨枕 ⑩立烏帽子 ⑪直垂衾(ひたたれぶすま) ⑬美麗の三尺几帳 ⑭御簾 ⑮帽額 ⑯壁代 ⑰野筋 ⑱敷居 ⑲障子 ⑳屏風 巻物 文机 ・朽木形の四尺几帳 ・引腰 裳を結う紐 畳の境目 指貫の括り紐
絵巻の場面 最初に絵巻の場面を確認します。この場面は、権大納言に昇進した祝も兼ねて病床の[ア]柏木を、親友で従兄弟同士の[イ]夕霧が見舞う場面です。柏木は女三宮に密通したことを光源氏に知られてから病づき、さらに女三宮の出家を知って自責の念を深め、ますます病状が悪化しています。夕霧は柏木の内情は知りませんが、病床の友を励まそうと訪ねてきたのです。
『源氏物語』の本文 この場面の絵柄は、『源氏物語』の次の本文を中心に描いています。
烏帽子ばかり押し入れて、すこし起き上らむとしたまへど、いと苦しげなり。白き衣どもの、なつかしうなよよかなるをあまた重ねて、衾ひきかけて臥したまへり。(略)重くわづらひたる人は、おのづから髪髭も乱れ、ものむつかしきけはひも添ふわざなるを、痩せさらぼひたるしも、いよいよ白うあてはかなるさまして、枕をそばだてて、ものなど聞こえたまふけはひいと弱げに、息も絶えつつあはれげなり。
【訳】柏木は、烏帽子だけを頭に押し入れて、少し起き上がろうとなさるけれど、ひどく苦しげである。白い衣の、着馴れて柔らかそうなのを何枚も重ねて、衾をひきかけて横になっておられる。(略)重い病を患っている人は、おのずと髪や髭も乱れ、むさくるしい感じも加わるものだが、痩せ衰えた姿がかえって、ますます白く気品高く感じられ、枕を立てて、お話しなさる様子はとても弱々しそうで、息も絶え絶えなのは痛々しげである。
夕霧が捉えた柏木の様子が語られています。以下、これが絵巻でどうなっているかを見ることになりますが、その前に建物の内部を確認しておきましょう。
建物内部 この建物は、南北棟となる東の対か西の対になります。夕霧が座っている①下長押の分だけ高くなって②柱が三本見える奥が③母屋です。母屋の柱間は二間だけですので、これは南北のいずれかから見たことになります。東西から見れば、少なくとも三間以上で描かれるはずです。対の屋では、母屋北側に塗籠(ぬりごめ)がある場合も多いので、ここは南側から見ているのでしょう。そうしますと、手前が④南廂、右側が⑤東廂、左側が⑥西廂となります。母屋も廂も⑦高麗縁の畳が敷き詰められています。なお、①下長押に三つ見える六葉形は⑧釘隠です。
寝所の柏木 それでは、病床の[ア]柏木を、先の物語本文を参照しながら見ていきましょう。寝殿造には寝室を個別的に設けませんので、母屋南側を寝所としています。では、どうして寝所と言えるのでしょうか。四点ほど指摘できます。一点目は、⑨枕でわかりますね。これは本文にあった「枕をそばだてて」を表していて、枕を縦に立てています。
横臥したまま声や音を聞く際のポーズになります。⑩立烏帽子を着けているのは、夕霧と応接するためで、頭頂部を見せないのは平安貴族のエチケットでした。二点目は、柏木をおおう衣類です。奥側に大きく広がった袖口が見えますね。これは⑪直垂衾のもので、今日の掛け布団に当たります。衾の下に見えるのは袿(下着)で、物語では「白き衣」とされています。では敷布団はどうなっているでしょう。これが、三点目になります。平安時代には、敷布団はなく、畳や筵(むしろ)を敷いて寝ていました。この絵巻では、高麗縁の畳に注目してください。畳の縁が、①下長押に沿っている⑦と、⑨枕の下側にある⑫とがずれていますね。物語本文にはありませんが、⑫を重ねて寝所であることを表現しているのです。そして四点目、枕もとの四幅(よの。前回参照)の⑬三尺几帳も、寝所の囲いとして理解できます。寝所は、今日とはずいぶん変わっていたことが分かりますね。
柏木はこの寝所に気品高く横たわり、冠直衣姿で身を乗り出して友を案じる[イ]夕霧と弱々しく話をして、遺言をしているのです。その内容は、光源氏へのとりなしと、妻の落葉宮に対する後見依頼でした。
室礼の様子 さらに室内を見ましょう。画面中央上部にあるのが、母屋の⑭御簾の⑮帽額です。御簾は巻き上げられています。柏木の手前に垂れ下がっているのが⑯壁代で、文字通り壁の代用です。几帳と同じく帷を下げて⑰野筋を垂らします。夕霧がいる所の壁代は巻き上げられているのが御簾に透けて見えます。この文様は桜になっていて、それは柏木が初めて女三宮を見た蹴鞠の日のことを暗示していると指摘されています。
画面右側、⑤東廂を見ましょう。③母屋との境に、⑱敷居にはめられ、少し開いた⑲障子(襖)があり、大和絵が描かれています。同じく大和絵の⑳屏風が置かれて、東廂を区切っています。
大和絵は共に松や薄の生える山野が描かれていて、画中画として貴重です。また、共に枠には装飾が施されていて豪華さがうかがえます。
東廂内は、巻物を載せた文机の端が見えますね。これは柏木の加持祈祷に当たる僧侶用の経巻でしょう。僧のことは、先の物語本文の前に、「僧などしばし出だしたまひて」とありました。そうしますと、柏木近くの母屋に控えていたこの僧が、この障子を通って出て行ったことになります。絵巻物では開いた障子や妻戸などは、通った人がいたことを暗示します。このことは「横笛」段にも見えますので、その回でも触れることにします。
画面左側、⑥西廂に移りましょう。
一対の四尺几帳が置かれています。文様は前回触れました朽木形ですね。この几帳で、侍女たちの居場所を区切っていることになります。
侍女たちの衣装 この侍女たちを見てみましょう。前回見ました侍女の衣装と違っているのがお分かりでしょうか。線描画では分かりにくいと思いますが、五人とも、肩からすべらかして描かれる唐衣を着ていませんね。また、[ウ][オ]の侍女には裳の・引腰まで見え、[キ]の侍女の手前には裳を結う紐が見えます。しかし、[エ]の侍女は裳の着用が不明ですが、[カ]の侍女にはありません。侍女は裳と唐衣の着用が普通でした。これはどうしたことでしょうか。この点に関しては、柏木看病のために唐衣を着用していなかったと指摘されていて、その通りだと思われます。侍女たちは柏木の病勢を案じているのです。あるいは、夕霧の見舞で柏木が少し元気になってくれるだろうと安堵しているのでしょう。
画面の構図 最後に画面の構図を確認しておきます。母屋の部分は、①下長押・②柱・⑮帽額で縁取られた安定感のある四角形になっています。しかし、⑱敷居から南廂の畳の境目に続く線と、几帳の横木の線からなる逆三角形の枠組みの中に、この四角形が配置された構図となっています。逆三角形は安定感にかけます。四角形に二人の親身な関係を表しつつ、逆三角形でそれが崩れ去ることを暗示しているのかもしれません。この対面のあと、柏木は亡くなっていくのです。