場面:猟師一家が食事するところ
場所:紀伊国那賀郡(なかぐん)の大伴孔子古(おおとものくすこ)の家
時節:ある年の秋
人物:[ア]童行者 [イ]猟師 [ウ]猟師の妻 [エ]赤子 [オ]子ども
建物など:Ⓐ猟師の家 Ⓑ・Ⓛ柴垣 Ⓒ網代(あじろ)の木戸 Ⓓ小川 Ⓔ板橋 Ⓕ上がり框(かまち) Ⓖ・Ⓘ菅の筵 Ⓗ・Ⓠ板壁 Ⓙ柱 Ⓚ横木 Ⓜ藁葺屋根 Ⓝ板敷 Ⓞ板屋根 Ⓟ押さえ木 Ⓠ板壁 Ⓡ板戸 Ⓢ・Ⓥ土壁 Ⓣ木舞(こまい) Ⓤ踏板
衣装・道具など:①首輪 ②・犬 ③垂髪 ④元結 ⑤袈裟 ⑥数珠 ⑦口髭 ⑧萎烏帽子(なええぼし) ⑨腰刀 ⑩折敷板 ⑪・⑰椀 ⑫・⑱小袖 ⑬俎板 ⑭鹿肉 ⑮箸 ⑯小刀 ⑲・肉片を刺した串 ⑳置石 矢 薪 鍋 肉片 鹿皮 木枠 据木(すわりぎ、あるいは、すえぎ)
はじめに 前回に続き『粉河寺縁起』を採り上げます。今回は第一話で、猟師の大伴孔子古が童行者の援助によって粉河寺を創建した話です。
この絵巻は前回も触れましたように火災によって損傷され、第一話冒頭部などは残された断片をつなぎ合わせて修復されています。ですから、画面は連続していません。今回扱います段も、断続した五つの断片(Ⅰ~Ⅴ)がつなげられています。しかし、それなりに絵巻の内容をたどることができますので、具体的に見ていきましょう。断片ごとに見ていきます。
絵巻Ⅰの場面 Ⅰの場面は、山里の風情を見せるⒶ猟師の家の門前です。Ⓑ柴垣にⒸ網代の木戸が作られ、その前にはⒹ小川が流れ、Ⓔ板橋が掛けられています。そこに①首輪を付けた②犬が飛び出して来て、何かに向かって吠えたてています。右側は焼損していますが、多分、ここに訪れて来た童行者が描かれていたことでしょう。
絵巻Ⅱの場面 Ⅱの場面では、すでに猟師の家に入った[ア]童行者に[イ]猟師が対面しています。童行者は③垂髪を④元結で束ね、⑤袈裟を掛け、⑥数珠を持って片膝をⒻ上がり框に載せています。引目鉤鼻で上品に描かれていますね。対する猟師は、⑦口髭を生やして⑧萎烏帽子をかぶり、⑨腰刀を差して武骨な感じです。片膝を立てて坐り、両手を擦り合わせてお礼をしているようです。
ここの会話は、それを記した詞書が焼失していますが、他の史料から次のように想定されています。猟師は狩りをしていて地面が光る場所を見つけ、霊験を感じてそこに柴の庵を建てていましたが、まだ本尊がありませんでした。童行者は、その話を聞いて、自分が仏像を七日で造りましょうといって庵に籠ります。会話はこのあたりのことを話題にしていることになります。猟師は童行者の申し出をありがたがっているのです。
この後、猟師が庵を覗いてみると童行者はおらず、千手観音が一体鎮座していました。猟師はこの事を妻や近辺の者たちに語り、再び連れだって庵に向かい、千手観音に帰依したという展開になっています。
絵巻Ⅲの場面 Ⅲは猟師一家の食事風景になっています。Ⓖ菅の筵を敷いた上に坐るのが[ウ] 猟師の妻です。⑩折敷板に載せた⑪椀を前にして、⑫小袖をはだけて[エ]赤子に乳を含ませています。
向かい側に片肌を脱いで、あぐらをかいて坐っているのが[イ]猟師です。大きな⑬俎板の上には刻まれた⑭鹿肉があり、その肉片を左手に持った⑮箸でつまもうとしています。⑯小刀が見えますので、食事の際に刻んだのでしょう。右手には妻と同じ⑰椀を持っています。汁物でも入っているのでしょうか。
⑱小袖を着た[オ]子どもはⒽ板壁に背中を押しあて、両足を投げ出して坐り、⑲肉片を刺した串を両手に持ってほおばっています。そんな様子を父親の猟師は満足そうに眺めているようです。母親も話しかけているようですね。
庭先を見てみましょう。猟師の獲った獲物の肉を干肉(乾肉)にするため、Ⓘ菅の筵の上に並べています。風であおられないように⑳置石されていますね。矢が突き立てられていますが、何らかのお呪(まじな)いでしょうか。
筵の左側にあるのは薪のようです。肉片を刺した串の左横には鍋が見えていますので、ここで煮炊きをするのでしょう。なお、子どもの左側には、Ⓙ柱に結わえたⓀ横木に肉片が下げられているのが見えます。猟師一家の食材は肉が主となるようです。また、干肉は売られたり、物々交換されたりしたことでしょう。猟師としての生業を示しています。
絵巻Ⅳの場面 Ⅳは猟師の家の裏側と思われます。Ⓛ柴垣には、鹿皮を干すために、紐を編んで付けた木枠に張られて立て掛けられています。後の場面では鹿皮の表側が描かれていますので、ここはその裏側だと分かります。なめし革にしているのです。これは衣類にされるほか、靴や馬の鞍にされますので、干肉とともに猟師の主要な収入源になることでしょう。
柴垣の手前には犬が何かを食べています。鹿皮から削ぎ落した肉片でも貰ったのでしょう。首輪は見えませんが、門前にいた犬と同じかもしれません。
絵巻Ⅴの場面 最後のⅤは猟師の狩の工夫を描いています。股になった木の間に材木を渡したものがそれです。獣道(けものみち)の上に設けられた、据木と呼ばれる足場で、ここから下を通る獣を弓で射りました。
以上、Ⅰ~Ⅴまで、猟師の生業や生活がリアルに描かれていましたね。
猟師の家 さらに猟師の家を確認しておきましょう。Ⓜ藁葺屋根で、室内はⓃ板敷です。Ⅱの童行者が坐っている所は廂のようになっていて、上部はⓄ板屋根になっており、固定するためにⓅ押さえ木が置かれています。童行者の奥には横に渡したⓆ板壁があり、その左横はⓇ板戸になっていて、その奥に部屋があります。ただし、後の場面で描かれるこの家では、板壁が描かれていません。
Ⅱの猟師の背後はⓈ土壁です。一部は剥げ落ちて下地のⓉ木舞が見えていて、Ⅲにも認められます。壁の向こう側には部屋がないのかもしれません。庭前にはⓊ踏板が床より低く渡されています。床下側面はⓋ土壁で囲まれていて、それは後の場面で木舞が描かれていることで分かります。
ⅡとⅢの間には断絶がありますが、そこも他の場面で描かれていて、半蔀(はじとみ)が上げられた一部屋が見えます。この部屋より奥まって、食事をしている部屋が作られており、ⅡとⅢの屋根がずれているのは、そのためだと思われます。子どもの後ろのⒽ板壁は、外部との隔てになっています。
室内の調度品は筵と俎板などの他には描かれていません。調理も庭前でしたようですが、雨が降ったらどうしたのでしょうか。猟師の家は、食が足りればそれでよかったのかもしれません。
絵巻の意義 今回採り上げました場面は、不連続ながら猟師の生活や生業が描かれて貴重でした。住まいの様子だけでなく、他の絵巻では見られない肉食も描かれていました。平安貴族は四つ足の獣は汚れとして忌まわれ、仏教の殺生を禁じる教えもあって鳥肉以外の肉食をほとんどしませんでした。しかし、庶民たちは肉食をしていたのでした。
生き物を狩り、それを食するのが猟師です。仏教の教えに背く生業ですが、粉河寺の縁起に描かれることによって、そうした者でも信心を持ち、救われる存在であることを示しています。本尊の千手観音は、千の手それぞれに眼があり、すべての人を救うとされています。慈悲ゆたかな粉河寺の霊験が絵巻に表現されたのだと思われます。