絵巻で見る 平安時代の暮らし

第63回『石山寺縁起』巻四「行尊僧正の石山寺参籠」を読み解く

筆者:
2018年7月25日

場面:行尊僧正(ぎょうそんそうじょう)や人々が参籠しているところ
場所:近江国、石山寺の本堂
時節:ある年の夏

人物:[ア]黒衣の老僧 [イ]行尊僧正 [ウ][エ] [オ]従者 [カ][キ]狩衣姿の稚児  [ク]衣被(きぬかずき)姿の女性 [ケ]尼 [コ]打掛(うちかけ)姿の女性 [サ]衣被姿で寝る女性 [シ]浄衣姿で眠る男性 [ス]浄衣姿で祈る男性 [セ]眠る女童
建物:①鍵 ②妻戸 ③格子 ④内陣 ⑤屋根 ⑥・⑬板敷 ⑦・⑭畳 ⑧外陣(げじん) ⑨局 ⑩御簾 ⑪壁 ⑫遣戸
衣裳:㋐袈裟 ㋑樒 ㋒・㋖・㋗・㋙・㋠数珠 ㋓袈裟 ㋔直垂 ㋕頭巾(ときん) ㋘ずきん ㋚・㋛打掛 ㋜立烏帽子 ㋝月代(さかやき) ㋞髻(もとどり) ㋟折烏帽子

はじめに 前回は『信貴山縁起』「尼君巻」の尼君が東大寺大仏殿に参籠する場面を採り上げましたので、今回は『石山寺縁起』の参籠場面を読み解くことにします。

『石山寺縁起』 この絵巻は、紫式部が参籠して『源氏物語』の構想を得たとされる伝承で有名な石山寺の創建や本尊如意輪観世音菩薩の霊験を描いています。全七巻三十三段からなりますが、現在の形になるまでに五百年ほどの経過がありました。巻一~三は鎌倉時代末の正中年間(一三二四~一三二六)、巻五もほぼ同時代、巻四は室町時代、巻六・巻七は江戸時代の成立と考えられています。

全三十三段になるのは、『法華経』に観世音菩薩が人々を救済するために三十三の姿に変身すると説かれたことになぞらえています。各段にはそれぞれ詞書が付いており、絵の主題を示しています。

この段の詞書 今回の段の詞書は、次のように記されています。

平等院僧正行尊 参議基平息、一夏の間、岩間寺に参籠せられけるが、隔夜に当寺に参詣して、毎度三千三百卅三度の礼拝ありける。ある夜、窮屈のあまりにや、いさゝか絶入たりけるに、夢うつゝともなくて、御帳の内より黒衣の老僧一人出て、僧正の口に青蓮華を一ふささし入けると見て、則我口をさぐり給に、あをきしきみの葉一ふさあり。其後、所願たちまちに成就せられけるとなん。彼しきみは圓満院の門跡に相傳せられて、いまにいたるまで、その色あをくして、かれずとぞきこゆる。

【訳】平等院行尊僧正は、参議基平の息男で、一夏(いちげ。九十日)の間、岩間寺(石山寺近くの正法寺)に参籠なされたが、一晩おきに当寺に参詣して、いつも三千三百三十三度の礼拝があった。ある夜、疲労のせいなのか、すこし気を失った折に、夢とも現実ともわからないでいると、御帳の内から黒衣の老僧が一人出てきて、平等院僧正の口に青蓮華(しょうれんげ。青色の蓮華で仏や菩薩の目にたとえる)の一房をさし入れたと見たので、すぐに自分の口をおさぐりになると、青い樒(しきみ。香気があり仏前に供える木)の葉が一房あった。その後、すべての願いがあっという間に叶えられたと言われる。かの樒は円満院(三井寺にある一院)の法統に相伝され、今に到るまで、その色は青くて、枯れずにあると伝えられている。

行尊僧正が三千三百三十三度の礼拝をしたとする理由は分かりますね。観世音菩薩の化身の姿の三十三にちなんでいます。夢に現れた黒衣の僧は、その化身で、行尊僧正の礼拝に感じて所願成就を果たせるようにしたことになります。絵巻は画面上部にこのことを描いています。

行尊僧正 この段の主人公、行尊僧正(一〇五五~一一三五)は、『百人一首』の「もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし」で知られる歌人でもあります。詞書にある平等院僧正は通称で、この平等院は宇治ではなく、円満院を指します。円満院のある三井寺(園城寺)中興の祖と仰がれ、修験道の形成に貢献しました。このことが絵巻で表現されていますので、後で触れることにします。

参籠の仕方 絵巻を見る前に、参籠の仕方を確認しておきましょう。石山寺などには、早朝に京を徒歩で出発して夕刻に到着し、一晩燈明を捧げて祈り、翌早朝には帰京する場合もありました。徒歩で行くのは信心の深さを示すためで、遠くの霊場などには牛車も使用されました。多くの場合は七日七夜をかけ、参籠に先立って精進潔斎します。到着しますと祓殿(はらえどの)で身を清めたり、斎屋(ゆや。斎戒するための建物)で斎戒沐浴(さいかいもくよく)したりします。夜になると本堂に上がり、御師(おし。祈祷僧)に願文を託して、夜通し祈りを捧げ、多くは夢のお告げを待ちました。夜が明けますと、休み所に下がります。休み所は寺院によって様々で、斎屋・橋殿・僧坊などが使用されました。そして、夜になるとまた本堂に上がることを繰り返します。裕福な層の人たちは、あらかじめ本堂と休み所に局(つぼね)を確保しました。そうでない人たちは、床下などに籠ることもありました。帰宅しますと精進落としをして一区切りとなります。

絵巻の場面 前置きが長くなりましたが、それでは絵巻の場面を見ていきましょう。描かれた人々は祈りを捧げたり、居眠りしたりしていますので、夜の参籠場面になりますね。

①鍵の見える、開いた②妻戸の奥が③格子で隔てられた④内陣になり、ご本尊が安置されています。画面左上に見えるのは、内陣にかかる⑤屋根です。

⑥板敷に⑦畳を敷いた上で、二列になって人々が拝礼している所が⑧外陣になります。二列の間には柱があると思われますが、省略したのでしょう。

画面上部は⑨局になっています。本来ならば、画面右上に⑩御簾が下ろされているように、手前にもあるはずですが、内部を見せるためにここも省略されています。内陣とは⑪壁で隔てられ、奥には⑫遣戸が見えます。ここも⑬板敷に⑭畳が敷かれています。こうして仕切られた局の内部が、絵巻の主題を画いた部分になります。詳しく見ていきましょう。

黒衣の老僧と行尊 ㋐袈裟を着けた[ア]黒衣の老僧が、㋑樒の一枝を眠っている男の口に入れようとしています。先にこの段の詞書を見ましたので、この場面の意味はもうお分かりですね。寝ている男が[イ]行尊僧正で、その夢の様子を描いているのです。ですから、行尊の右側で正面を向いている[ウ]男は、何の反応も示していません。絵巻は夢の内容まで表現するのです。

[イ]行尊の様子を確認しましょう。右手の㋒数珠と㋓袈裟の他は僧侶らしくありませんね。㋔直垂を着け、頭部に何かをかぶっています。これは修験道で用いる㋕頭巾と呼ぶ布製のずきんになります。六角形にしたもので、垂らした紐を下あごに結んで留めました。行尊は山岳修業を重ねて修験道形成にかかわりましたので、こうした姿に描かれたのです。

そうしますと、行尊の右側に坐る同じ姿の二人も、修験者で従者になります。正面を向く[ウ]男も㋖数珠を持っています。横向きの[エ]男は、居眠りをしています。

⑩御簾を前にして坐る三人のうち、真ん中の[オ]男も同じ姿なので、やはり従者でしょう。その両側で眠る[カ][キ]狩衣姿の二人は垂髪を見せていますので、お稚児さんとなります。少年なので、徹夜するのはきついのでしょう。[カ]手前の稚児はうつ伏していますね。

祈る女性たち 他の人々も見ておきましょう。前列には四人の女性が描かれています。手前の[ク]衣被姿の女性は、㋗数珠を手に立って祈っています。その右横の[ケ]女性は、前回見ました尼君と同じく㋘ずきんをかぶって㋙数珠を手にしていますので、尼と見えます。その横の[コ]女性は㋚打掛姿で祈りを捧げていますが、奥の[サ]若い女性は㋛打掛を衣被したまま腕枕をして寝込んでいます。この四人は家族でしょうか。主人の男性にかかわることを念じているのかもしれません。

祈る男性たち 後列の男性たちも見ておきます。手前の[シ]浄衣姿で眠る男性は、㋜立烏帽子を前に落としています。㋝月代に㋞髻を見せていますので、日中に人に見られたら、ひどく恥ずかしい思いをすることでしょう。中央の[ス]浄衣姿で祈る男性は、きちんと㋟折烏帽子を着け、㋠数珠を手に祈っています。その横にかがまって[セ]眠る女童は、娘なのでしょうか。この父娘は、妻にかかわることを祈っているのでしょう。

絵巻の主題 この段は観世音菩薩の霊験と、行尊僧正の参籠による功徳を表現しています。しかし、それだけでなく、庶民たちの必死の祈りも描いていました。また、眠ってしまう様子も描いています。これは草木も眠る丑三時(うしみつどき。午前二時から二時半)を表現しているのかもしれません。この時刻ころに霊験が現れるのです。庶民の姿も描くところに『石山寺縁起』の意義があるのですが、絵巻の主題と決して無関係ではないのだと思われます。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、『鳥獣人物戯画』から、「耳引き」の場面を取り上げます。どうぞお楽しみに。

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