絵巻で見る 平安時代の暮らし

第64回『鳥獣人物戯画』丙巻「耳引き」を読み解く

筆者:
2018年8月15日

場面:耳引きをしているところ
場所:寺院の一室か
時節:未詳

人物:[ア]立烏帽子の男 [イ]萎烏帽子の男 [ウ]耳引きする男のこどもか [エ]・[オ]・[カ]小坊主か [キ]折烏帽子の男

衣裳など:㋐立烏帽子 ㋑・㋕・㋘・㋚・㋛小袖 ㋗筒袖 ㋒腰刀 ㋓火打袋 ㋔紐 ㋖萎烏帽子 ㋙広袖 ㋜折烏帽子 

はじめに 今回からは、遊びの場面を採り上げます。この場面としては、第7回で『年中行事絵巻』の「毬杖(ぎっちょう)」を扱っていますので、ご参照ください。今回は京都の高山寺に所蔵される墨画の絵巻『鳥獣人物戯画』の一場面になります。

『鳥獣人物戯画』 最初に『鳥獣人物戯画』について触れておきましょう。全四巻からなり、今日では各巻を甲巻・乙巻・丙巻・丁巻と呼んでいます。各巻には作風や題材に相違があり、一度に成立した絵巻ではないと考えられています。作者もよく分かっていません。

甲巻は平安時代末の十二世紀の成立で、兎や蛙などの動物が人間のように振る舞う様子を描いています。

乙巻は甲巻と同じく十二世紀の成立で、霊獣も含めて動物図鑑の趣になっており、人間のように振る舞うことはありません。

丙巻は平安時代末から鎌倉時代にかけての十二~十三世紀の成立で、前半は人間、後半は猿と蛙を中心とした動物の登場です。いずれも遊びが主題材となり、後半は甲巻と同じく動物が人間のように振る舞っています。

丁巻は鎌倉時代の十三世紀の成立で、人間のみの登場です。内容は、芸能・法楽・遊戯などの様子がユーモラスに描かれています。

『鳥獣人物戯画』の題材 乙巻を除きますと、題材で目につきますのが、遊びや娯楽の場面です。それらの名前を抜き出してみましょう。

甲巻 水遊び、賭弓(のりゆみ)、草合か、田楽、相撲、双六

丙巻 囲碁、双六、将棋、耳引き、首引き、目比べ(にらめっこ)、腰引き、鶏合、犬合、競馬(くらべうま)、祭、蹴鞠、験比べ(げんくらべ)

丁巻 曲芸、験比べ、流鏑馬、田楽、毬杖、木遣り、印地打ち(いんじうち)、猿楽 

細かに解説する余裕はありませんが、ずいぶんと多くの遊びや娯楽が描かれていますね。今回扱います耳引きなど、今日では行われなくなった遊びもあります。遊びの史料として、この絵巻は重要です。

『鳥獣人物戯画』の「戯画」とは、戯れに描いた絵、誇張や風刺を交えた滑稽な絵という意味でした。しかし、これだけ遊びの場面があることからしますと、遊びの戯れを題材にした戯画という面が『鳥獣人物戯画』にあると思われます。

絵巻の場面 それではまず、今回の場面の場所を考えておきましょう。見物する人物たちは、くつろいだ姿で描かれていますので、室内になるようです。また、丙巻は冒頭から坊主頭の人が多く描かれていて、この場面にもいますので、その住まいとなる僧房ではないかとする説があります。

しかし、ここで耳引きしている二人などは被り物をしていますので僧ではありませんね。右側の㋐立烏帽子の[ア]男は、㋑小袖に㋒腰刀を差し、㋓火打袋を下げています。あるいは、寺院で下働きする者たちの詰所かもしれません。そこに坊主頭の人たちが上がり込んだことになりましょう。

耳引き 続いて、耳引きの様子です。耳引きは、見ての通り、㋔紐を大きな輪にして、互いの耳にかけて引っ張り合う遊びです。遊びの道具の少なかった平安・鎌倉時代では、手に入り易い紐が使われました。先に挙げましたように、首引きや腰引きの遊び道具にもなっています。手軽にできた遊びであったことでしょう。

耳引きは、引っ張り合う遊びですので、勝ち負けが伴います。どちらが優勢でしょうか。二人の人物の姿態をよく見てください。左側の㋕小袖に㋖萎烏帽子の[イ]男は、にんまりと笑いを浮かべているようです。また、両手は両膝を抱え、余裕がありそうです。これに対して右側の立烏帽子の[ア]男は、両手を床に突き、やや前傾した姿勢で体を支えているようです。引っ張られるのを堪えている趣です。そうしますと、左側が優勢と言えそうですね。勝負の趨勢もこの絵巻はきちんと描いているのです。

丙巻での他の勝ち負けのある遊びでは、弱い者、小さい者が優勢になるように描いているようです。双六では僧に対して稚児、首引きでは男僧に対して老尼、腰引きでは太った男に対して痩せた男が、それぞれ優勢になっています。この場面も同じだとしましたら、萎烏帽子の男の地位が低く、高い者より優勢になっていることになります。こうしたところにも滑稽味がうかがわれるのです。

見物する者たち 見物する者たちを見てみましょう。それぞれの表情が巧みに捉えられています。画面右下で坐っている㋗筒袖の[ウ]子どもだけ、髪を生やしています。耳引きするどちらかの男の子どもでしょうか。口を開けていますので、さかんに声援を送っている感じですね。

 

この子以外に坊主頭が三人描かれています。いずれも若く見えますので小坊主と考えておきます。右側の㋘小袖の[エ]小坊主は手をたたき、片足を上げていますので、はやし立てて喜んでいるようです。画面上部にいる㋙広袖 [オ]小坊主は、やや年齢が上でしょうか。耳を触っています。引っ張られる耳の痛さを感じて、思わず自分の耳に手をやったのかもしれません。左側の㋚小袖の[カ]小坊主は勝敗の様子をじっくり見ている感じです。思わぬ成り行きに興味津々なのでしょう。

㋛小袖に㋜折烏帽子の[キ]男は、優勢な男の味方でしょうか。表情は分かりにくいのですが、何となく勝負の趨勢を喜んでいるようにも見えます。

この絵巻は、単に遊びの場面だけでなく、見物人たちの様子もこと細かく描いています。そこに生き生きとした味わい、あるいは滑稽味やユーモアが醸し出されていると言えましょう。

耳引き場面の意義 遊びとしての「耳引き」という言葉は、「腰引き」と共に古語辞典などに載っていません。言葉として記された史料が見つからないからです。「首引き(頸引き)」は、例えば花園天皇の日記『花園院宸記』の文保三年(1319)二月一五日条に、貴族邸で行われたことが記されています。ですから古語辞典に載っています。そうしますと、言葉として残っていなくても、『鳥獣人物戯画』で耳引きが描かれたのは、極めて貴重なことであったのです。

 

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、『年中行事絵巻』から、石合戦の場面を取り上げます。どうぞお楽しみに。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております