場面:「毬杖(ぎっちょう)」をする庶民たち。
場所:平安京のある小路。
時節:正月の松の内のある日。
人物:[ア]・[ケ]・[タ]毬杖を持つ大人
[イ]・[エ]・[カ]・[キ]・[ク]・[チ]毬杖を持つ童
[ウ]童 [オ]烏帽子に刀をさす大人 [コ]・[サ]・[シ]・[ス]・[セ]店番の人
[ソ]毬杖を飛ばした大人か [ツ]杖をつく老人
[テ]舞人か [ト]・[ナ]舞の見物人か
室外:①球 ②毬杖 ③譲葉(ゆずりは) ④烏帽子 ⑤太刀 ⑥浅沓(あさぐつ)⑦網代壁(あじろかべ) ⑧窓 ⑨門松 ⑩棚 ⑪築地(ついじ) ⑫足駄(あしだ) ⑬杖 ⑭社殿か ⑮唐門(からもん)
絵巻の場面 この絵は、何を描いているのでしょうか。画面中央に、①球体が尾を引いて飛んでいます。現代のマンガに通じる描き方です。その両側に分かれている子どもや大人たちは、②杖のようなものを手にしています。飛ぶ球体や、この杖、何やらホッケーようではありませんか。これは、平安時代に行われた毬杖という遊びを描いているのです。ホッケーは、相手のゴールネットに球を入れますが、毬杖は左右に分かれて、飛んできた球(木製)を打ち返す遊びです。詳しいルールは未詳です。[ア]の大人は烏帽子を手で押さえて、[イ]の子どもと共に、球を打ち返そうとしています。絵には、球のほかにも様々な動きが表現されています。こうした動きに注意して、さらに詳しく画面を見ていきましょう。なお、この遊びの杖も毬杖と言いますが、ここでは杖とだけ表記することにします。
毬杖をする様子 それでは、毬杖に興じる様子を、多少の想像を交えながら見ていきます。これは絵巻を見る楽しみ方の一つでした。左右に別れた両側には、それぞれに、杖を持たない[ウ]子どもや[オ]大人がいます。この人たちは、さしずめサポーターといったところでしょうか。左側の⑥浅沓を履いた[オ]の大人は、⑤太刀を持っていますので、無頼の若者かもしれません。他の仲間とともに、どうだと言わんばかりの姿を見せています。
左側の大人は、口を開けたような顔が描かれていますので、右側をやじる言葉を発しているのでしょう。また、[ケ]の大人と、[カ]の子どもは、指や杖を相手方に向けています。これらは人をあざける表情や仕草です。勝負をめぐって、歓声が聞こえてきそうな感じです。
毬杖での失敗 この一方で、画面には、毬杖の一員でありながら、それに加わっていない人が、二か所に描かれています。気がつかれたでしょうか。一つ目は、画面右上の、[ソ]の男になります。おどけたような足取りで、店に向かっていますね。その店にいる[ス]の男の手を見てください。やや分かりにくいですが、手には杖を持っているではありませんか。どうやら、[ソ]の男は、球を打ち返そうとして、杖を誤って投げてしまったのでしょう。大失敗なので、おどけた調子で杖を取りに行ったのだと思われます。
もう一つは、画面左上、⑪築地の前で、杖を持った[タ]・[チ]の大人と子どもです。
二人は、何をしているのでしょう。足駄を履いた[タ]の大人は、頭に手をやり、すみませんと謝っているようです。その相手は、[ツ]の老人です。老人は烏帽子のあたりを指さしています。そうするとこれも想像になりますが、[タ]の大人が打った球が反れて、[ツ]の老人の烏帽子に当たったのではないでしょうか。老人は、「ここに当たったぞ」と文句を言い、側にいる[チ]の子どもが指さして、「この人が打ったんだよ」と教え、当人が「すみません」と謝っている構図となります。こちらは、杖ではなく球をあらぬ方向に飛ばした失敗でした。
描かれた仕草から、こんな光景を二つ想像してみましたが、いかがでしょうか。とてもマンガ的です。毬杖の様子だけではなく、この絵には滑稽な失敗も描いてあったのです。ともに少し前の時間にあった出来事になります。
絵の時節は 続いて、この絵はいつの季節になるかを見てみましょう。実は、毬杖自体が、正月の遊びでした。羽子板や凧揚げが正月にされるように、遊びにも季節感がありました。そして、この絵には、毬杖の他に、正月を示すものが、二、三描かれています。
まず、子どもたちの姿に注意してみます。腰につけているものがありますね。これは、親子草とも呼ばれる、③譲葉です。新しい葉が生長してから古い葉が譲るように落ちますので、この名があります。このことから新年の飾り物や親子相続のさいに使われました。この木のことは、『枕草子』「花の木ならぬは」の段に次のようにあるのが参考になります。
譲葉のいみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれどをかし。なべての月には、見えぬものの、師走のつごもりのみ時めきて、亡き人の食ひ物に敷くものにやと、あはれなるに、また齢を延ぶる歯固(はがため)の具にももてつかひためるは。
【訳】 譲葉がたいそうふさふさとしてつややかで、茎がじつに赤く派手に見えているのは、品はないけれどもおもしろい。普通の月には、見られないものが、十二月の末日だけ重宝されて、亡き人の霊に供える食べ物に敷くものにするのかと、しみじみとした感じがするのに、一方では寿命を延ばす歯固の添え物にも使っているようであるよ。
譲葉は、歳末に祖先の霊に供える食べ物に敷き、新年になると寿命を延ばすための歯固[注1]で使用されることを記しています。この絵では、子どもたちが腰につけて、元気に遊んでいます。親の願いがこめられているのでしょう。毬杖と譲葉は、新年の装いなのでした。
この他にも新年らしさがあります。画面右上の店の前を見てください。門松が飾られています。新年の飾りであることは言うまでもありません。また、画面左上の門がある一画も、これだけでは分かりにくいですが、ここは神社で新年に舞を奉納しているとする説があります。[テ]の人は舞人となり、この一画も新年の光景になるのです。
町屋の風景 最後に右上の画面を確認します。平安京には町屋と呼ばれる小さな家が、庶民の衣食住をまかなう店になっていました。その町屋の様子が、画面右上になります。町屋は、奥行きは分かりませんが、間口は二間(にけん)から数間[注2]でした。間口の片方は土間、もう片方は板敷になります。[コ]・[サ]・[シ]の三人は、何をしているのか分かりませんが、板敷にいることになります。板敷には⑧窓が開けられます。絵では省略されていますが、半蔀(はじとみ)[注3]を外側に開きます。窓の下の壁は、⑦網代壁になっています。⑩の棚には魚が並んでいるようです。掲出しなかった右側も、魚を商う店になっています。この町屋は、魚屋が並ぶ一画なのです[注4]。そして、庶民の子どもたちが遊ぶ場なのでした。
この絵は、町屋を背景とした毬杖の光景を、新年の風俗として、滑稽味を交えつつ、描いていると言えるでしょう。
注
- 正月の三が日間、延命・長寿を祈って餅・野菜・肉などを食べる儀式。この餅に、譲葉が敷かれた。
- 間(けん)は、柱と柱のあいだ。庶民の家では、一間が二メートル近辺であった。
- 上下に分かれる蔀(格子)に対して、壁の上部に設けられる、開閉する建具。
- この一画を六角小路と町尻小路が交差する、六角町ではないかとする説がある。