人名用漢字の新字旧字

第194回 「繍」と「繡」

筆者:
2019年11月7日

旧字の「繡」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「繍」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「繡」は出生届に書いてOKですが、新字の「繍」はダメ。どうしてこんなことになっているのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の糸部には「繡」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「繍」が添えられていました。「繡(繍)」となっていたわけです。簡易字体の「繍」は、旧字の「繡」の代わりに使ってもかまわない字、ということになっていました。

ところが昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表では、新字の「繍」も旧字の「繡」も含まれていませんでした。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示されましたが、やはり「繍」も「繡」も収録されていませんでした。昭和23年1月1日、戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が当用漢字表1850字に制限されました。この時点で、新字の「繍」も旧字の「繡」も、子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

半世紀後の平成12年12月8日、国語審議会は表外漢字字体表を答申しました。表外漢字字体表は、常用漢字(および当時の人名用漢字)以外の漢字に対して、印刷に用いる字体のよりどころを示したもので、1022字の印刷標準字体と22字の簡易慣用字体が収録されていました。印刷標準字体の中には旧字の「繡」が、簡易慣用字体の中には新字の「繍」が、それぞれ含まれていました。旧字の「繡」も新字の「繍」も印刷に用いてかまわないと、国語審議会は文部大臣に答申したのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213 (平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「繡」は、全国50法務局のうち出生届を拒否された管区は無く、JIS第3水準漢字で、出現頻度数調査の結果が221回でした。新字の「繍」は、全国50法務局のうち1つの管区で出生届を拒否されていて、JIS第1水準漢字で、出現頻度数調査の結果が53回でした。この結果、旧字の「繡」は人名用漢字の追加候補となり、新字の「繍」は追加候補になりませんでした。

追加候補選定基準 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1・2水準
8~10 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1水準
6~7 JIS第1~3水準 JIS第1水準 JIS第1水準
0~5 JIS第1・3水準 - -

平成16年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申し、9月27日の戸籍法施行規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、旧字の「繡」は人名用漢字になり、子供の名づけに使えるようになったのです。しかし、新字の「繍」は、人名用漢字になれませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「繡」に加えて、新字の「繍」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「繡」はOKですが、新字の「繍」はダメなのです。

筆者プロフィール

安岡 孝一 ( やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

https://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。