交通網が発達した現代においても、私の調査対象地はまだまだ行きにくいところにあります。1ヶ月間の渡航の内14日間が移動日ということもありました。今回は調査地である西シベリアの森の中へどのように行くのかを紹介したいと思います。
調査地へは、まず、ロシアの首都モスクワ経由でハンティ-マンシースクに行きます。ここで諸手続きを終えた後、さらに田舎の町まで小型飛行機で行きます。川が凍結していない6月から9月は船で移動することも可能です。川が凍結している冬には乗り合いバスも地方都市と田舎の町を結んでいます。船やバスは日本から予約することはできないので、現地に行ってからどんな交通手段がそのときに最適であるかを判断します。インターネットで得られる交通情報もありますが、変更していたりもするので、現地でチケット販売の窓口に直接行くか電話で問い合わせるか、地元の方に聞きます。
はじめてヌムトに行ったときはヘリコプターを利用しました。当時、ヘリコプターはカズィムという村とヌムトを結んでいました。ヘリコプターは月に1、2回往復していましたが、私がカズィム村に着いたときにはヘリコプターは出発したばかりだったので、最低でも2週間村で待つことになりそうでした。それまでも調査許可の書類入手のために一ヶ月以上も都市部で足止めされていたので、私は少し落胆しました。
そんなとき、定期的な診察用のヘリコプターがヌムトへ行くという情報を偶然つかみました。村の方を通じて医師たちに私も同乗させて欲しいとお願いしました。かなり無謀なお願いでしたが、どういうわけか、すんなりとこの要望が叶いました。
ここで役にたっていたのが、どうやら都市部に滞在中に地元のテレビやラジオ、新聞にたびたび取り上げられていたことのようです。村の人たちみんなが、日本からハンティの文化を学びに来ている学生(当時は院生でした)が来ていて、森の奥深くまで行って調査研究したいらしいということを知っていました。医師たちもそれを知っていて、そういうことならば、と快諾してくれました。
ヘリコプターは約250kmの道のりを2時間半程度かけてヌムトに到着しました。いよいよヌムトの人たちに会うことができると意気込んでいましたが、意外にも集落にはほとんど人がいませんでした。ヌムトの集落はソ連時代につくられた行政集落で約50軒の住居と小さな商店があり、電気と電話が使用可能です。しかし人々はここに常住せず、ふだんは集落から数十km離れた森の中で家族ごとにトナカイとともに暮らしていました。そこで、たまたま森から集落に来ていた方と交渉して、その方の家に行くことにしました。
その方の森の住居までは集落から40km弱あり、トナカイに橇(そり)をひかせて移動しました。雪が湿っていてトナカイが走りにくく、休憩時間を含めて通常3時間程度で走るところを、5時間以上もかかって到着しました。トナカイ橇に乗るのは初めてだったので、道程で私は何度も振り落とされました。森の住居に到着するころにはへとへとに疲れていました。
ハンティ語紹介
Ма нємєм ~. マー ネーメム ~.「私の名前は~です(私は~と呼ばれています)」