・飲み屋
京畿道の飲み屋に一同で入る。メニューには「酒家」と店名が大きく明朝体の漢字だけで書かれていた(写真)。これは珍しい。漢字教育が学校でも復活したと韓国人の先生のお話があった。
漢字が街に増えたともおっしゃる。昔、とくに50年前であれば、もっと多かったのは、そのころの写真を見ても間違いない。一方、0に近くなるほど少なくなったという声も聞いたが、確かにすでに記したとおり、漢字は街で目に付くようになってきた。
ただし、韓国の人々は、日記や手紙には、たとえ漢語であっても漢字を使おうとは思わないそうだ。書くのも覚えるのも、たいへんだからとのことだ。ここは、ベトナムと完全に一致している。日本人も面倒なときや思い出せないときには仮名表記でその場を切り抜けることはあるが、かわいさを出したいときにもあえて仮名表記を選ぶなど、日本では筆記姿勢に余裕がある。
日常では、杯(さかずき)を意味する漢語の「チャン」(盞の字音 잔)という単語が、日本語から入ってきたともいう「컵 コプ」へ変わってきたそうだ。日本語の「コップ」は英語の「カップ」からではなく、より古くポルトガル語やオランダ語から入ったものだった。韓国では、「盞」は量詞(助数詞)としては残っているが、むろんハングル表記ばかりだ。
医学用語は、一時期、耳で聞いても意味の分からない漢語をやめて、固有語に換える作業が進められた。「腺」(ソン 선)も、固有語で泉を表す「샘」(セム)に言い換えられた。しかし、漢語復活といえる動きも生じているそうだ。
・テレビ画面
テレビ放送は、日本とどことなく雰囲気が似ている。バラエティーもどちらが先かは分からないが、どこかで見たような企画をやっていた。画面上ではテロップが多用されており、そこではハングルやローマ字、アラビア数字がほとんどである。
たとえば、「과연」(gwayeon クヮヨン)は、漢字ならば「果然」と書かれたもので、果たして、いかにも、やはりという意味の語である。漢字で書けば語構成や意味が視覚的にも理解できそうなのだが、やはりハングル表記のみであった。テレビだけではなかったかもしれないが、3回ほど見かけた。日本語でも「俄然」という副詞が主に表外字を含むために「がぜん」と表記されるようになって、字義が忘れられ、語義が転訛しつつあるのだが(第33回)、そうした展開が文字によってここでも誘発される可能性はなかろうか。
テレビのニュース画面では、
という歴史ある筆字風看板が写った。マスメディアに、歴史的な価値を持つ古い筆跡が出現するのは、当然であろう。ただ、現代との文字の使用状況の差が日本以上に激しい。漢字は骨董的な位置に近づいている、と言えば言い過ぎだろうか。
韓国の歴史ドラマには、古めの屏風に漢字が筆で書かれたものがよく出てくるが、あれは朝鮮王朝時代を写実主義的に表すセットであるだけでなく、かつての両班世界の雰囲気作りに役立てられているのだろう。