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曲のエピソード
本日8月28日は、今からちょうど50年前、かのマーティン・ルーサー・キング・Jr.牧師(1929-1968)が人種差別撤廃を求めて、ワシントン大行進を率い、約20万人の群衆の前で有名なスピーチ“I Have A Dream”を行った日である。アメリカでは、既に数日前からワシントン大行進50周年を祝う行事が行われるなど祝賀ムードが漂う一方で、キング牧師の長男が公の場で「まだ完全に人種差別はなくなっていない」などと発言したりと、アメリカに根強く残る人種差別という苦い現実も改めて耳目を集めている。
1960年代にアメリカ全土で公民権運動が熱を帯びていた頃、チャート誌『ビルボード』では摩訶不思議な現象が起きていた。1963年11月30日付号から1965年1月23日付号までの間、同誌からR&Bチャートが消えたのだ。雑誌サイドは「これだけ様々なジャンルの音楽が巷に溢れている今、わざわざR&Bチャートをジャンル分けして掲載する必要がない」と苦し紛れの弁明をしたが、その行為は、明らかに“R&Bアーティストの締め出し”だった。モータウン黎明期の人気女性ヴォーカル・グループだったマーサ&ザ・ヴァンデラスの「Dancing In The Street」は、まさにその“R&Bアーティスト締め出し期間”にリリースされた曲である。よって、この曲にはR&Bチャートでの順位が存在しない。それでも全米チャートでNo.2まで登り詰めたのだから、快挙と言う外ないだろう。当時、「Dancing In The Street」を公民権運動讃歌として受け止めた人々も大勢いたらしい。もちろん曲自体も素晴らしい出来映えだが、そうした社会情勢とも相まって、大ヒットにつながったのではないだろうか。
「Dancing In The Street」をカヴァー・ヴァージョンで初めて聴いた、という人も少なくないだろう。ミック・ジャガー&デイヴィッド・ボウイのデュエットによるカヴァーは、1985年に全米No.7,全英チャートでは何とNo.1を記録。また、ヴァン・ヘイレンによるカヴァーは、1982年に全米チャートでNo.38を記録している。
1964年夏、すなわちそのわずか1年前に行われたワシントン大行進と、アメリカの各地に伝播していた公民権運動の熱がまだ冷めやらぬ中、この曲はリリースされた。そのためか、当時、「外に出て通りで踊りましょう」という内容の歌詞がアフリカン・アメリカンの人々の暴動を促すのでは、と危惧したラジオ局がオン・エアを自粛した、というエピソードが残っている。もうひとつ、「Dancing In The Street」が公民権運動の真っ只中にリリースされたという何よりの証拠となるのが、同曲が収録されたアルバム『DANCE PARTY』のイラスト仕様のジャケット。モータウンに限らず、公民権運動時代に様々なレーベルからリリースされたR&B/ソウル・ミュージックのLPには、イラストもしくはアーティストとは無関係の白人モデルの写真が多用されていたが、それは、「R&Bのレコードは聴きたいが、二グロ(←差別語。念のため)の写真が載ってるレコードは買いたくない」という白人たちの購買を促すための苦肉の策だったという。そうした手法は、1966年頃まで続いた。
曲の要旨
世界中のみんな、ダンスの新しいステップを踏む準備はできてる? 夏がやってきたわ。通りに出て踊るのには打ってつけの季節よ。アメリカ中のあちらこちらでみんながレコードを流しながら通りに繰り出して踊っているの。恰好なんて気にしないで。さぁ、男の子はパートナーの女の子を見つけて踊ってみて。外へ出て、通りで踊れば懐かしい人々にも会えるかも知れないし、みんなでワイワイ楽しい時間を過ごせるわよ。アメリカ中のあちらこちらの人々も、世界中の人々も通りに繰り出して踊っているの。
1964年の主な出来事
アメリカ: | 雇用上の人種差別などを撤廃する公民権法(Civil Rights Act)が成立。 |
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公民権運動指導者のマーティン・ルーサー・キング Jr. 牧師がノーベル平和賞を受賞。 | |
日本: | 東京オリンピックが開催される。 |
世界: | ソヴィエト連邦でブレジネフが第一書記に就任。 |
1964年の主なヒット曲
Can’t Buy Me Love/ビートルズ
Chapel of Love/ディキシー・カップス
Baby Love/シュープリームス
Leader of The Pack/シャングリラス
Mr. Lonely/ボビー・ヴィントン
Dancing In The Streetのキーワード&フレーズ
(a) the time is right for ~
(b) as long as ~
(c) the Motor City
今でも大切に保管してある高校3年生の時のリーダーの教科書には、“I Have A Dream”の全文が掲載されている。授業では、最初のパラグラフを暗記させられたりもした。その章の1ページ目には、大群衆を前にしたキング牧師の写真も載っており、キャプションには“August 28, 1963 Washington, D.C.”とある。あれからもう半世紀とは……。そしてこの「Dancing In The Street」が大ヒットしたこの年、キング牧師はノーベル平和賞を受賞している。一説によると、そこにはアメリカ政府の思惑――もうこれ以上、公民権運動を拡大させてはならない。そのためには、キング牧師にノーベル平和賞を与えるのが得策だ――が潜んでいたという。つまり、彼にノーベル平和賞を受賞させれば、これ以上、過激な行動には出ないだろう、と。アメリカ政府がそこまで神経過敏になるほど、公民権運動とそれを統率したキング牧師の影響力は絶大だった。「Dancing In The Street」を“暴動扇動ソング”と捉えたラジオ局の人々も、政府同様に神経過敏になっていたのではないか。
とにかく明朗快活で気持ちのいい曲である。聴き終った後の爽快感は、暑い夏の日に冷えた生ビールをグイッとひと口呑んだ瞬間のよう。(a)は「~するのに最適な季節、時期」といった意味。“for”の後には、必ず名詞か動名詞が続く。(a)を使ってちょっとしたセンテンスを作ってみると――
♪Summer is the right time (season) for fireworks.(夏は花火に最適の季節)
(b)はお馴染みのイディオムで、「~である限り、~している限り、~の間は」という意味。洋楽ナンバーには数え切れないほど登場する。例えば次のように――
♪As long as I live, I will love you.(生きている限り、ずっと君を愛するよ)
過日、かつて自動車産業で栄華を誇ったデトロイト市が、アメリカ史上最悪の財政破綻に陥った、というショッキングなニュースが大々的に報じられた。ご存知の方も多いだろうが、デトロイトはモータウンの発祥の地でもある(1970年初頭にL.A.に本拠地を移した)。レーベル名は“motor + town”から成る造語で、今でも同レーベルが隆盛を極めていた頃の音楽をひとつのジャンルのように“モータウン・サウンド”と呼ぶ。(c)は辞書にも載っているデトロイトの俗称。この曲には様々なアメリカの都市名――シカゴ、ニューオーリンズ、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボルティモア――が登場するが、“Detroit”は出てこない。代わりに(c)が同市を指しているのである。これが、モータウン所属以外のアーティストによって歌われたとしたら、(c)は通常通り“Detroit”となっていたかも知れない。筆者は(c)に、マーサ&ザ・ヴァンデラスの、加えてモータウン関係者たちの地元デトロイトに対する誇りと愛着を感じずにはいられない。だからこそ余計に、モーター・シティの財政破綻のニュースがショックだった。
これは勝手な想像に過ぎないが、本日8月28日に、レコード棚の奥から「Dancing In The Street」のシングル盤または収録LP(大ヒット曲なので、多くのモータウンのコンピレーションCDにも収録されている)を取り出して聴きながら、公民権運動やキング牧師のスピーチに思いを馳せているアフリカン・アメリカンの人々(世代的には60~80代ぐらい)が大勢いると思う。実は筆者は、ワシントン大行進の約2週間前に生まれたのだが(歳がバレバレ)、炎天下の通りで踊る勇気も体力もないので、今日は朝から『DANCE PARTY』のLPをヘヴィ・ローテイションで聴いている。