あおさぎ【青鷺】〔名〕(1)サギ科の鳥。日本で見られるサギ類中最大で、全長約九〇センチメートル、翼を開くと一五〇センチメートルを超えるものもある。くちばしは黄色で長い。体は白く、背は青灰色。後頭部に青黒色の長毛があり、首の下の毛は長く、房状となる。ユーラシア大陸、北アフリカに広く分布。日本では北海道、本州中部で、樹上に他のサギ類と共に、または一種のみの集団で巣を作る。主食は魚で、水田や沼地などで採食する。みとさぎ。学名はArdea cinerea 《季・夏》*小右記‐天元五年〔982〕六月二七日「蒼鷺為レ鷹被レ進入二寝屋中一」*仮名草子・尤双紙〔1632〕上・二九「あをき物のしなじな〈略〉青鷺(サギ)の汁に、あをひばり、青じととまでやきそへて」*俳諧・猿蓑〔1691〕五「雨のやどりの無常迅速〈野水〉 昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ〈芭蕉〉」(略)
まだ、いろいろな場所で見かけることができる鳥だと思うが、アオサギをご覧になったことがあるだろうか。インターネットの画像で確認することもできる。『日本国語大辞典』では体色を「体は白く、背は青灰色」と説明している。色を話題にする場合は、説明が複雑になるが、今ここでは秋晴れの日の空の色合いのことを「そらいろ(空色)」と呼ぶことにする。そうすると、アオサギの体色は空色ではないことになる。しかしまた、「秋晴れの日の空の色」を「アオ(青)」と呼ぶことはできる。「アオゾラ(青空)」という語もある。つまり、日本語「アオ」はアオサギの体色のような、灰色にちかい色も、秋晴れの日の空の色も指すことができるということだ。指す色の範囲がひろいといってもよい。
このこと自体はひろく知られていることがらだろう。小松英雄『日本語の歴史 青信号はなぜアオなのか』(2001年、笠間書院) はそうしたことを正面から論じたものだ。交通信号は「アカ/アオ」であるが、「アオ」が緑色であることのもっとも身近な例といってよいだろう。 あるいは「青色申告」だろうか。
あおいろしんこく【青色申告】〔名〕所得税、法人税についての申告納税制度の一つで、青色の申告用紙を用いるもの。一定の帳簿書類に所定の記帳が必要であるが、専従者控除、各種の引当金、準備金の損金算入など特典が与えられる。
青色申告の用紙の色、というよりも申告用紙で(おもに)使われている罫線や文字の色は、といえば空色ではなく緑だ。アオカナブンだって、空色ではなく、光沢のある緑色だ。ここまでは日本語の「アオ」がどのような色に対応しているか、という話題だ。
あおば【青葉】【一】〔名〕(1)青い木の葉。青々とした葉。*常陸風土記〔717~724頃〕久慈「青葉は自ら景を蔭(かく)す蓋を飄し」*新古今和歌集〔1205〕冬・六二六「冬深く成りにけらしな難波江のあを葉まじらぬあしの群立〈藤原成通〉」(2)その年になって芽を出した若々しい葉。若葉。また、青々と茂った若葉。新緑。《季・夏》*枕草子〔10C終〕四〇・花の木ならぬは「こきもみぢのつやめきて、思ひもかけぬ青葉の中よりさし出でたる、めづらし」*金葉和歌集〔1124~27〕夏・九九「夏山の青葉まじりのおそ桜初花よりもめづらしきかな〈藤原盛房〉」*平家物語〔13C前〕灌頂・大原御幸「遠山にかかる白雲は、散りにし花のかたみなり。青葉に見ゆる梢には、春の名残ぞ惜しまるる」*俳諧・曠野〔1689〕一・杜宇「目には青葉山ほととぎす初がつほ〈素堂〉」(3)未熟、未完成なことのたとえ。*歌舞伎・筑紫巷談浪白縫(黒田騒動)〔1875〕二幕「まだ其頃は十三才、女子といへど青葉(アヲバ)ゆゑ、憚る事もなかりしが、早や年頃となりしゆゑ」(略)
語義(1)は色が青い葉、であるが語義(2)には「若々しい」「青々と茂った」という、いわば評価が込められている。つまり色が青いということに加えて、それが若々しさや勢いを感じさせるということだ。言語に関して「プラス」「マイナス」という表現を使って説明することには必ずしも賛成できないが、わかりやすさを優先して、ここではそれを使うとすれば、「プラスの青」とでもいえよう。
一方語義(3)は「アオ」が「未熟、未完成なことのたとえ」になっている。若いということを未熟であるととらえるということだ。これは「マイナスの青」だろう。
「アオニサイ(青二才)」という語がある。『日本国語大辞典』は「年が若く、経験に乏しい人を卑しめていうことば」と説明している。まだかろうじて使う語だろうか。
江戸川乱歩「恐怖王」を読んでいると次のような行りがあった。
ヒヒヒ……、青二才め、どうだ苦しいか。もう少しの我慢だ。今に気が遠くなって極楽往生だぜ。
「恐怖王」の手下である「ゴリラ男」が「大江蘭堂」の喉を締めている場面だ。「恐怖王」は1931(昭和6)年6月から翌1932(昭和7)年5月まで『講談倶楽部』に掲載されている。「大江蘭堂」は作品中では30歳の「探偵小説家」ということになっている。1931年頃には30歳が「青二才」とみなされていた、とすぐに考えていいのかどうか、そこは慎重に判断したいが、「青二才」の指す範囲もまた一定ではないことは十分に考えられることだ。