日本語・教育・語彙

第19回 ことばの時事問題(6):たまり場の喪失 ―コロナ禍による社会の変容

筆者:
2020年8月28日

「ウィズコロナ」「アフターコロナ」の社会を指し示すのに「新しい日常」「ニューノーマル」「新常態」などの語が並立している。この中では「新しい日常」がいちばんしっくりくる。「ニューノーマル」は、もともとリーマンショック後にもとの経済状態に戻らないことを示す語だったようだが、特に「新常態」は経済成長率の伸びが鈍化してきた中国について、数年前から中国政府が使い始めて広まった語である。それが漢字を使う日本に外来語のように入ってきたものである。コロナウィルスとの共存社会を言うのに「新しい生活様式」は長すぎるし、意味も限定的である。経済的にも新しい状況であるには違いないが、社会全般のことを言うには「新しい日常」がよいように思う。

さて、「新しい日常」とは何か、盛んに論じられている。大きな変革が起きるという論調も多いが、本当にそんなに変わるのだろうか。ワクチンと治療薬ができたら元に戻るような気もする。ただ、少なくとも1年から数年は社会に様々な影響が残ることもほぼ間違いない。また、医療、介護、保育、災害時の避難といった人間生活を根底で支える職業の重要性、危機管理のためのインフラの拡充の重要性が認識されてきている。IT関連のインフラが十分とは言えないことも露呈しているが、必要性の認識が広まれば次第に普及していくに違いない。

一方で、コロナ禍のもとで様々な変化を一定の期間強いられた結果、これまでのやり方のマイナス面を見直して、コロナ後も続けるべきだ、続けたいと言われていることもある。ハンコや紙の書類が減るのは私にとってはありがたいし、政府も電子決済を推進すると言っている。テレワークやオンライン授業にも様々な問題があるとはいえ、コロナ後も継続してほしいという声が少なくない。私の所属大学の所属学部での調査でも、限られた一部の学生を対象とした調査ではあるが、約6割の学生が来学期もオンライン授業を続けることに賛成し、約3割が対面授業を望んでいる。オンライン授業になれば、「痛勤」「痛学」電車に揺られる必要もなく、襟元さえ整えておけばパジャマのままで授業ができる。教授会も委員会も打ち合わせもほぼすべてオンラインだが、大きな問題が起きているようには見えない。実験や実習のような科目はオンラインではうまくいかないと思うが、パソコンと相性のいい知識の切り売りのような科目なら、オンラインでも不都合はない。学生たちからは数百人の授業などでも質問がしやすくてよいという声も多いらしい。学校に行くのが苦手な子が授業に出られるようになるのも大きなメリットだ。

では、授業を含めた人との出会いがオンライン化して失われたものは何だろうか。授業中に教師の話を聞き逃したときに隣の学生をのぞいてフォローすることが難しくなったという話を聞いた。私自身もそんな学生だったからよくわかる。つまり、その場の思いつきでちょっと周りをのぞくということができなくなったのである。クラスメートと話をするのは教師も含めたクラス全体か、教師がグループ分けをしたディスカッションの時間だけである。(チャット機能で一部の学生と授業中にやり取りをすることはできるが、「隣」という概念がないので、相手を選ぶ理由が必要になり、知らない学生にいきなりメッセージを送ることはしにくいであろう。)

この話を社会一般に広げて考えてみると、失われたものの一番は「たまり場」ではないだろうか。「たまり場」というのは特別な意図や約束がなくても会話を始められる場のことである。居酒屋やカフェもそうだし、大学の学生ラウンジ的なスペースもそうである。授業の前後に他の学生と話したりするのもそうである。考えてみれば大学のキャンパスは巨大なたまり場だ。4月には新入生歓迎の看板が立ち並び、サークル勧誘の場では知らない人に話しかけることが普通にできる。オンライン化して学校でも会社でも1年生は友達を作る場を失っている。

すでによく知っている人とであれば、オンラインでもコミュニケーションを続けることにさほどの問題はない。よく知らない人が相手であっても、例えば研究会のように目的のはっきりしたコミュニケーションであれば、そこに知らない人がいたとしてもさほどの問題はない。しかし、お互いを知りあうことそのものが目的で、しかも不特定の人の中から相手を選んで話さなければならないとなると、オンラインでは難しい。友達とオンライン飲み会を開くことはできても立食パーティーのような形式が難しいように思われる。学生にも社会人にもたまり場はほしい。知らない人に出会うという、生活の中の小さなドラマがなくなってしまったのである。

オンライン居酒屋やオンラインスナック横丁をやっているという報道もあるが、それでも立食パーティー形式を実現するのは難しいだろう。あるオンライン居酒屋サイトには「出会いを求めて相席プラン」なるものがあり、「少人数の男女が集まり、みんなで仲良く和気あいあいとお楽しみ下さい。店長・女将は皆様が仲良くなれます様に最大限頑張ります。」となっている(オンライン居酒屋「ゆんたく」)。居酒屋と言っても酒を出してくれるわけではないので、まさにたまり場を意図的に作ろうという試みである。類似の試みはオンライン宿泊、オンライン銭湯、オンラインバスツアーなど、いろいろ出てきている。「たまり場」を取り戻そうとする試みである。しかし、どうも居酒屋に入るよりもオンライン居酒屋の敷居は高い。オンライン研究会のあとにオンライン懇親会をやるという企画もあるが、次々と相手を変えて話すということがオンラインでは簡単ではない。オンライン空間には参加者同士の遠近がない。相手を選ぶのに理由が必要で、相手にもその理由を考えさせることになる。例えばアニメファンが集うサイトで会話が始まるというように趣味サイトに集うなら敷居が少し下がるかもしれない。タイガースファンが応援しながら集うオンライン居酒屋なら私も入りたくなるかも(と思ったらそのような企画はすでに実現していたようで……興味のある方は自分で調べてください)

なんとなく人と知り合う場をどう作るか、それが「新しい日常」の中の新しい問題である。

筆者プロフィール

松下 達彦 ( まつした・たつひこ)

国立国語研究所教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)、『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』

編集部から

第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える松下達彦先生から、日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
公開は不定期の金曜日を予定しております。