コロナ禍と呼ばれる状況になって、早1年。緊急事態宣言、おうち時間、我慢、自粛、手洗い、マスク、テレワーク、新しい生活様式……われわれは十分すぎるほどに、それまでの日常とは異なる出来事を経験してきました。(コロナ禍で生まれた新しいことばについてはこちらのコラムをご覧ください。)
この状況でにわかに注目を集めているドラマが『アウトブレイク-感染拡大-』。こちら、Amazon Prime Video, Netflix, hulu ほか、さまざまな配信サービスで見ることができます(決してこれらのサービスの回し者ではありません)。タイトルから予想できる通り、未知の感染症が流行して社会がパニックに陥る、という内容。政府機関の緊急衛生研究所の所長を務める主人公の未知の感染症との闘いを、夫の不倫、思春期の娘との繊細な関係などと絡めつつ、描いています。
実はこのドラマ、放送開始が2020年1月7日[注1]ということで、コロナ禍を受けて制作されたわけではないのですね。しかしながら、ドラマの出来事が現実とものの見事に重なり、「これ……実社会で履修済みです!」と何度もテレビに向かって叫ぶことになります。PCR検査、政府と専門家のやりとり、メディアコミュニケーション、有名人の死、特定の民族への偏見、治療薬の開発・治験……。また、楽しみにしていた成人式や卒業式が縮小、オンライン化、取りやめになった日本の若者が重なって見えるシーンもあり、胸が締め付けられる思いがしました。ドラマ制作者の先見の明に、ひたすら感心するばかり。
さて、このドラマの見どころは緊迫するストーリー展開だけではありません。物語の舞台はカナダ、ケベック州モントリオール。2016年国勢調査によるとケベック州の人口の 76.1% がフランス語を母語としており[注2]、このドラマもほとんどフランス語で物語が展開していきます。
しかし、なんだか雰囲気が学校で習ったフランス語と違います。そう、これはカナダのフランス語。
bien, comment, tiens などの母音が、学校で習ったのと違う気がする。
なんか別れ際にバイバイって言っている! チクショウは Fxxk だ!(フランスのフランス語では、さよならは Au revoir. や Salut !、チクショウ!と言うときは Putain !、 Merde ! など)
朝ごはんは déjeuner、昼食はdîner、夕食のことは souper って言ってる!(フランスのフランス語ではそれぞれ、petit déjeuner, déjeuner, dîner)
そして、これを書いている私は「このフランス語……あの本で履修済みです!」と興奮しながらこのドラマを見ていました。「あの本」というのがこちらです。
この本は、フランス語の音韻論についての研究プロジェクトの成果をまとめてフランスで刊行された本の日本語版です。日本のフランス語教師と学習者に向けてアレンジしています。このプロジェクトの研究対象は世界のフランス語で、本書ではこのうちの、北フランス、南フランス、ベルギー、スイス、アフリカと海外県・海外領域圏(コートジボワールとレユニオン島)、北アメリカ(カナダ)のフランス語をテキストと音声つきで紹介しています。
北アメリカを扱う第7部では、フランスから北アメリカ大陸にはじめてフランス語が伝わった17世紀からの歴史や、北アメリカにおけるフランス語の社会的状況を知ることができます。また、言語学的な特徴についても説明があり、『アウトブレイク-感染拡大-』で話されているフランス語を聞くと「お、これがカナダのフランス語か!」とわかるような知識を獲得できます。
例えば、ドラマの中では、bien「よく」という単語が、学校で習う北フランスの発音の [ビアン] ではなく [ビエン] に聞こえます。本書の p.181 によると、北フランスのフランス語の [ɛ̃] の音が北アメリカでは [ẽ] の少し狭い音になるそうです。
本の中で紹介されているカナダのフランス語の特徴をドラマの中で見つけるとわくわくしますよね。この『フランコフォンの世界』をわきに置きながら、よく耳を澄まして話題のドラマを見てみるのはいかがでしょうか?
ちなみに、ドラマのなかでは、このコラムで紹介したカナダのフランス語のほかにも、英語やイヌイットの言語も登場します。全10話の決して長くはないシリーズですが、そこでは多様な言語の世界を垣間見ることができ、私たち言語愛好家を飽きさせません。
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