北京オリンピックが閉幕してしばらく経った。その開幕式は内容面でも演出面でも、中国らしさが随所に発揮され、いかにも中国だという記憶を刻むものとなった。ベトナムの複数の新聞でも、翌朝には「印象」的という漢越語がローマ字で見出しを飾っていた。
その開会式は、8月8日の午後8時にスタートした。暑い日の遅い時刻に設定されたのは、その数字に因るものだという。つまり、その日時が選ばれたのは「八」という数字に意味があった。中国の浙江財経学院で会った大学生や大学院生も、開幕式に「八」が選ばれた理由を皆そのように認識していた。中国の人は「八」という数字を好む。それは漢数字に限ったことではなく、ナンバープレートでもアラビア数字の「8」が含まれるものは高値で取引され、「8888」と並べば、もう大変な価値が生じるプレミアものだという。
その理由は、「発財」(ファー・ツァイ fa1cai2)の「発」(发 發)、つまりお金を儲ける、金持ちになるという漢字と、「八」(バー ba1)との発音が互いに近いことにある。発音が似かよっているために、縁起が良いといって好まれているのである。広東語でも、この二字がやはり類似する発音であるため(ともに末尾に「t」という子音が残存している)、特に香港辺りでの「八」への投機熱は相当なもののようだ。このように中国語圏では、漢字は往々にして発音を重視して使用されている。
一方、日本人にとっても「八」という数は縁起が良いといって好まれてきた。めでたいことの日取りにしても、金額にしても、よくそのことが話題となる。その理由は、古くは「や」という語自体に数が多いという意味があったことなどによるようだが、現在ではきまって「八」という漢字の形が末広がりであって、次第に繁栄していくようでおめでたいからだ、とよく言われる。確かに富士山の形状のように見えなくもない。つまり、日本では、漢字の形から得られるイメージを重視する傾向が強いということがここに反映しているのである。
日本で、大学生たちにあの開幕式で「八」が選ばれた理由を考えてもらったところ、ほとんど全員が「字の形が末広がりで縁起が良いから」と判で押したような回答となった。長寿を祝う日本での「傘寿」(八十歳の賀)や「米寿」(八十八歳の賀)などの字体意識とも関連する可能性もある。そこにはさらに「米という字は、八十八回も手を掛けてやっとできたということが表されている」などとまことしやかにいわれる決まり文句とも通底するところがあろう。
中国で、大学生たちに上記の日本人の意識を伝えてみたところ、とても意外そうであった。それをまた、日本の大学生たちに伝えると、やはり驚きが返ってきた。「ショック」などと述べる者も現れた。「お金」が直接の理由となっていたことへの意外さが強いのだという。
中国の街中では、看板にある「鑫」という字がよく目に入る。社名や店名、そして人名に多く用いられているのだ。発音は「シン xin1」、お金が儲かることを祈っての命名だそうだ。この正直でストレートな表現による縁起かつぎには、「八・八・八」と同様の発想をうかがうことができよう。
漢字の「八」は、字源としては、事物を左右に二つに分けたことを示す指事文字と解される。「ハチ」という字音も、「別」(ベツ)や「半」(ハン)「班」(ハン)と同じ系統の語と考えられている。3000年の間に、中国でも日本でも、「八」に新たな開運という意味合いを帯びさせたわけだ。全く異なる動機から日・中それぞれで生じた験担ぎが、今なお息づいていることは見事なまでの「暗合」といえるであろう。漢字の形とそのめでたさは共通であっても、それぞれのもつ意識と表現の差が際立つ「八」の字であった。