北京での五輪(オリンピック)、中国語では「奥林匹克(アオリンピーコー)運動会」では、さまざまな選手が登場し、晴れの舞台を飾っていたようだ。スター性の強い選手も少なからず現れ、マスコミを賑わわせた。
その中に、“オグシオ”と呼ばれるバドミントンの小椋久美子と潮田玲子のペアがあった(*1)。大会の間、その「小椋久美子」の名は、中国語でどう発音されていたのだろうか。私はあまり熱心には観戦していなかったので、聞くことはなかったのだが、姓は中国語では各種の辞書の記載に従って恐らく「シアオ・リアン」(xiao3 liang2)のように読まれていたのではなかろうか。この「椋」という字は、現代の中国では「椋鳥」(ムクドリ liang2niao3)くらいにしか使わなくなっているようだ。
このムクドリに対する中国語の表現は、日本から伝わった鳥の名の表記によるものであろうが、この「椋」(リョウ)という漢字は、古くから中国では「ムク」という木の名を表してきた。つまり「リアン」というように呼ばれる木が、ムクの木であった。その字源は、木偏と「京」からなる会意文字とも形声文字ともされる。さんずいの「涼」と同音で「リョウ」と読むという点から、形声文字だとすれば「京」という字の上古における発音は、「gliang」(グリアン)のように子音が語頭に重なっていたものと推測される。ともあれ、日本でも、「椋鳩十」というペンネームも児童文学などでなじみ深いものであり、「むく」という字としてよく認識されている。
さて、オグシオの「小椋」という場合には、「椋」の字を「ムク」ではなく「くら」、連濁で「ぐら」と読んでいる。歌手の小椋佳(ケイ)も、芸名だそうだが同様だ。「ムク」と「くら」とは、互いに全く関連を持たない語である。中国では昔から現在まで、この「椋」の字に「くら」に結びつく字義は見出せない。
実は「椋」という字を「くら」すなわち「倉」という意味で用いることは、朝鮮半島で古くに生じたものであったことが、出土した木簡や史書の記述などから判明している(詳しくは小著『国字の位相と展開』を参照されたい)。漢和辞典には、「椋」における「くら」という訓義を拾い収めるものがある。そこに「国訓」と注記するものがあるのだが、これは日本製の国訓というわけではなかったのである。
地名を眺めると、東日本ではこの字自体があまり使われておらず、西日本一帯では「むく」のたぐいで読まれるものがほとんどであるが、京都では「巨椋」(おぐら)などとしてなおも残存している。小椋久美子も三重県出身とのことで、小椋姓は福島に多いほかは、関西に偏在している。
そもそも中国で、「京」(キョウ・ケイ みやこ)という字に、「くら」という意味が派生した。そこで、意味を特化するために、中国では、「くら」が建物であることを明示するために「广」を付すことも生じた。それと同じように朝鮮半島では、その材質を示す木偏が新たな部首として付加されたと考えられる(「桴」という字の影響とも言われている)。ともあれ当の朝鮮半島では、その訓義は保持されず、「」の字体(読みはsu ス)で、文献上に痕跡を残すにとどまっている。
「椋」の「くら」という読みは、オリンピックでの国際交流よりも遥か以前に、日本列島と朝鮮半島との人的、文化的な交流、ひいてはそれらと中国大陸との交流が東アジア世界の中で平和裡に行われていたことの名残だったのである。しかし、中国でこの字を「京」(くら)と同音で「ジン jing1」とは読まなくなっているとすれば、それが遠い日に忘れ去られたままとなっている、ということなのかもしれない。
【注】