ベトナムでは、西山(タイソン)朝の時代には、キリスト教文献にまでチュノムが用いられていたとのことで、チュノムが公認されたのはそれを含めて歴史上2回だけだが、資料は多く残っているそうだ。チュノムには、仮借から形声へという時代差があることが指摘されており、最近のチュノムの研究書にも実例とともに述べられている。竹を表す「椥」(チェ)は、形声文字だから新しいだろう、というようにも言及される。
漢字にこのような時代による変化が生じることは、中国では古くから指摘されているが、地域差への言及は比較的新しい(いわゆる六国古文、『方言』や唐詩に現れる方言文字についてなど)。
地域的な差異についても、チュノムにも見つかっているとのことだ。日本のエビのような細々とした事象を含めた複雑な歴史も扉が開かれるのを待っているのではなかろうか。チュノムは、研究すればまだまだ開拓の余地があるのだそうだ。ベトナムでは資料はたくさんあるが、研究方法に開拓の余地が残されているのだそうで、まだ眠っている資料も多いとのことだ。
ベトナム民族学博物館に行った。博物館は、現地では「バオタン」、なんと漢字では「宝蔵」だ。その後ろに「民族学(ザントクホク)越南」が続き、合わせて、ベトナム民族学博物館となる。各国語のパンフレットを見ると、
日本語 ベトナム民族学博物館
韓国語 ベトゥナム(ハングル)民族学博物館
中国語 越南民族学博物館
となっていた。ベトナム語だけがまるでお寺の宝物館のように感じられよう。
民族学博物館では、見たことのない少数民族のチュノムのようなものも展示されていた。京(キン)族以外にも、3つの民族がチュノムを作り出していて、ザオ(瑶)族のそれは、中国ヤオ(瑶)族の漢字系派生文字である瑶(ヤオ)文字とも違うようだ。
館内では、ところどころに漢字の資料が展示されている。漢文のようで、見たことのない漢字が含まれている物がある。「」、前後を見ても読めない。同行してくださった研究者も知らないそうだ。
ベトナムには、54の民族がおり、人口の86%をベト(越)族(京族)が占めている。世界最大の民族とされる漢族も、ここでは少数民族だ。ザオ(瑶)族は、18世紀頃、南中国から移住し、「瑶漢字」を使用したとある。中国の少数民族漢字としてのそれと同じでないというが、チュノムの変種なのだろうか。中国語版のパンフレットでは、過去に漢字を用いた、と記されていた。モン(苗)族、ハニ(哈尼)族も、中国にいる人たちには漢字や造字の使用が見られたのだが、ここでもあるのだろうか。チワン(壮 かつては様々な表記がなされた)族なども、中越の国境線など関係なく、往来や商売、婚姻さえも行われるといった話も聞く。ロロ族(倮倮 チベットビルマ語系)もベトナムにも居住しているとのこと、古いロロ文字のような象形文字も展示されていた。焼き畑農業も行われるそうで、日本とのつながりも感じられてくる。少数民族が日本にあるものとそっくりなお菓子を売っていた。周りに白くて固いものがついたおこしのような菓子で、甘く懐かしい味がした。
フランスの香りが残るホテルでは、テレビを付けて視た。局数が多いのは、ホテルだからであろうか。映りはともかくとして、外国語の放送も多く入る。
ベトナム語は、今は一声などと中国風には呼ばないが、平らな音が中国語(5段階で高さを表せば55となる)ほどは高くない(33と記述される)。高くないからそう記述したのか、記述したからそれが標準となったのか、それは前者であろう。中国語のように耳に響かない。タモリの芸であるハナモゲラ語による4か国語麻雀などでも、そこは何となく押さえられていた。
漢字が画面に映った、と思えば、簡体字や繁体字で中国語の放送だった。マンガ字フォントまで現れるが、いずれも日常のベトナム語を表記するものではなかった。漢字は、すべてが博物館行きになってしまったら、歴史上の遺産となるのである。