明治維新の立役者を輩出した薩長土肥のうち、鹿児島にはまだ行ったことがない。その他の3か所は、どこも意外なほど都市化が進まなかったようで、昔のままを保持している観があった。
佐賀市内のバス停に、「辻の堂」とゴシック体で書かれている。そこの「しんにょう」(しんにゅう)は2点ばかりで揺れがないが、近くにある交差点のナール体による表示は、逆に1点しんにょうで統一されていた。逆方向にあるバス停では、「辻の堂」が1点のゴシック体で統一されていた。いずれでも、「つじ」という語を表記する文字として表語機能を十分に果たしており、要は一般に気にする必要のない、字体レベルでの差に過ぎないということだ。最初からどうでも良いといっているのではなく、こうした観察と考察の過程を経て、やはりどちらでも良いことだと結論づけられそうということである。
室外での簡単な観察を終えて、ホテルに入る。テレビを付けると、NHKだ。NHKも、時刻により佐賀ローカル放送SAGANEWSに切り替わった際に、画面に「覚せい剤事件で」と字幕が表示された。NHKは、常用漢字表の改定後、新聞と同様に「覚せい剤」をやめて「覚醒剤」にした(法律名までだったか)のではなかったか。全国放送では「覚醒剤」、タイムラグによる地域差か、と色めく。
ところが、後で、詳しい方に尋ねてみると、首都圏でも局内で「覚せい剤」を使ってしまうことが、まだかなりあるのだそうだ。それは、交ぜ書きの法律名と混同していることと、法律どおりにしないといけない、と思っている部があるらしい、ということによるものだそうだ。
つまり、めちゃめちゃに、逆にきちんとしなければ、という両極端の意識によって、同一の現象を生じさせてしまっているようなのだ。知人の検事さんが、10年近く前に、「覚せい剤」という交ぜ書きは変だ、とおっしゃっていたことも思い出した。
佐賀出身で、今回あちこちを案内して下さる方に、佐賀の人たちには、いわゆる方言コンプレックスなど、ほとんどないことを確認した。九州では福岡はもちろん、熊本もそうだそうで、若者にも方言がだいぶ残っていると聞いたことがある。福岡出身の学生も、けっこう方言で皆と話している。「方言萌え」などといわれる流行をあえて伝えなくても、あれこれ話せそうだ。
大隈重信侯の出身地で、話をできることの幸せを噛みしめつつ、スーパーを改築したという文化センターに着く。夜、地元の芸能との抱き合わせの企画のためか有料なのだが、60名以上が集まって下さった。
前半に演じられた佐賀仁○加(にわか)は、意外にも本格的な演劇で、人々の素朴な面白さが表現されていて面白い。「わ」に「○」を当てることは、江戸時代、元禄のころに服の模様として流行し、七代目團十郎が広めたとされる「かまわぬ」を思い出させる。あれは、日本の絵文字の源流の一つだ(團十郎は、代々、文字に逸話が多いので、それも追って紹介したい)。さらに、平安時代の仏典には、漢語「月輪」を「月○(筆法としては()のよう)」と略記したものがあり、それからカタカナ「ワ」ができたとする説もあったくらいだ。
その中で使われるような方言を取り入れた、ことばと文字の話をということだった。